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#サイトの目的と自己紹介

※このサイトを訪れてくださった方へ

みなさんこんにちは。当サイト「趣味で続けるクラシックギター」の管理人、あしゃおです。クラシックギターのよさを一人でも多くの方に伝えたい。そして、クラシックギターを好きな方がさらに上達されるきっかけになりたい。そんな2つの思いから、本サイトを更新しています。

ちなみにYou Tubeチャネルもasao-guitarでやってるので登録していってくれよな!https://youtube.com/@asao-guitar

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上を向いて歩こう(中村八大、塩見大二郎編)

上を向いて歩こう(Sukiyaki song)
作曲:中村八大
編曲:塩見大二郎



年明けから、知り合い訃報や会社の後輩の転職など少し辛い連絡が続いてしまいました。寂しくはありますが、上を向いて歩きたいな、と思います。

幸せは雲の上に
幸せは空の上に
上を向いて歩こう

編曲は塩見大二郎先生で、piascoreで楽譜が購入可能です。私には慣れない和音やリズムが多く、音を取りながら弾いていくのがとても楽しい編曲でした。その分、聞こえてくる全ての音を表現したくなってしまい、ゴチャゴチャとよくわからない演奏にならないかの注意も必要で難しさを感じました。奏者の楽しさと聞こえ方は別物だ、ということに改めて気づきました。

誰もが知る名曲の『シンプルな良さをスッと伝える』ことと、それを邪魔せずに『編曲の良さをさり気なく伝える』ことのバランスを上手に取りたいな、と思います。引き算の美学…!

あとはやっぱりテンポとリズムだなぁ。自然なテンポの揺らし方ってなんなんだろう。
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編曲物を演奏するときに、どうやって楽譜を探しますか?

Q: 編曲物を演奏するときに、どうやって楽譜を探しますか?
A: まず第一に、信頼している編曲者で探します。

ギター弾き始めた最初期は、『〇〇ギター曲集』や『ギターソロのための△△』などを適当に購入していました。そのうちに編曲者の好みが出てきて、自分なりの信頼している編曲者リストが出来てきました。そしてそれは、演奏会や動画などで他者の演奏に触れている間に、主に増える方向でアップデートされているように思います。

なお私には、「楽譜が確定している近現代のギター作品」ばかりに取り組んでいた時期がありました。楽譜が違う、音が間違っている、なぜその版を使っているのか?などの版に関する問題に対するアプローチに悩んだため、編曲物どころか古典物に対しても拒否反応を持ったためです。

今もその感覚は残っていますが、昔ほどのコンプレックスはなくなりました。その理由は、主に2点。版の違いを検討する中で作曲者や編曲者のメッセージを受け取る作業が楽しくなってきたこと。根拠なんかさておいて、シンプルに「その音が好きだから」でいいじゃないか、と思えるようになってきたこと。当たり前のことかも知れませんが、この手の内容は頭で理解するだけでなく自分で実感しないとなんの救いにもなりませんので。

とはいえ、コンクールなんかで版問題のある曲に取り組むのは相変わらず怖い、というのが素直な気持ちです。

本投稿は編曲者として書きましたが、作曲者に置き換えてもほぼほぼそのまま成立しそうですね。今はYou Tubeなどで動画を簡単に確認できるので、色々なインプットも活用しながら自分の直感を信じて飛び込んで行くのがよいのではないでしょうか。

先日とある方に質問されたときの返答内容を記載してみました。匿名投稿可能な質問箱もありますので、質問や依頼なんかあればお気軽にメッセージくださいね。
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【1年半経った】40才からでも相対音感は鍛えられる?おじさんの音感トレーニング日記

2022/12/31
新曲視唱のアプリで訓練を開始。「能動的に音程を取れる」と思っていた旋律の多くが、実はかなり曖昧であったことに気付かされています。逆に、この曖昧さを矯正できれば音感、もよくなっていくのては、、と自分に期待!


今年(2021年)の秋には不惑になる筆者が、思い立って相対音感トレーニングを始め、その経過を報告していくの記事です。タイトルには日記って書いたけど、更新は気が向いたときだけです!


当ブログでは、ギター練習のコツだとかコンクールに挑戦だ!とか言ってますけれども、私実ははっきり言って音感はありません。ギター歴はそれなりに長いので、楽譜を見て演奏する分には特に困ることはないですけれど、楽器を持たずに楽譜を見てメロディを歌う、聞いたフレーズを楽譜なしで弾く、さらにはコードをあてる、といったことができると、きっと新しい何かに気付けるのでは。

そう思いまして、音感トレーニングを日課としてやることにしました。大人になってからでも後天的に身につけることができると言われる、相対音感の獲得にチャレンジです。

開始時点(2021年7月7日)の筆者実力


・楽譜があるから弾ける曲ばっかり。聴音能力はほぼ無し
・典型的な三和音ならメジャー/マイナー、ドミナントモーションがわかるかな、くらい。
・座学の知識は、独学ベースでそれなりにある。12音平均律、長短音階、三和音のダイアトニックコードとかはわかる。四和音以上やテンションコードはつらいけど、考えれば、まぁ、それなりに……?

目標


・聞いたフレーズの階名(移動ド)がわかる
・伴奏(コード)をつける
・主調を特定できれば音名がわかる
・初見楽譜でメロディを歌う
・聞いたフレーズをギターで弾く

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人前でミスすることに慣れてはいけない

タイトル通りなんですけど、人前でミスをすることに慣れてはいけません。

本番演奏で緊張するから、との理由で人前練習の回数を増やすパターンがあります。しかし、『人前でミスをすること』に慣れてはいけません。ミスをするかもしれない練習度合いで人前演奏に臨み、実際にミスをして、あーやっぱりミスをしたな、と思いながら家路につく。これは負のスパイラルです。

『これだけ練習すれば完璧に弾けるのでは』『ここまで完成度にこだわれば舞台でもミスせず弾けるだろう』と思った曲を人前で弾きその結果出てしまったミスと、ミスするかもなと思いながら演奏をして実際にミスをすることとは、大きく異なります。ミスをすることに、ミスをするかもしれない舞台に出ることに慣れてはいけません。

緊張そのものに関しては、色々な考え方があります。人前で緊張しないほどに舞台に慣れるべきか、それとも緊張を感じながらその中で何かを表現するか。ほどよい緊張感が人のポテンシャルを引き出す面もあるので、完全に慣れてしまうのもどうか、と言う事ですね。これはその人次第でいいのではないでしょうか。ただし、緊張するかしないかの話と、ミスをするかどうかは似て非なる問題だと私は捉えています。いずれにせよ、ミスを重ねることには慣れるべきではないと考えます。

ノンミスは、よい演奏の必要条件ではありません。ミスがあっても心打たれる演奏はあります。しかし、ノンミスにこだわる取り組みの中で育まれるものがあることも、また事実であると思います。

さ、練習、練習。。
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管理人あしゃおのギターソロ演奏動画まとめ

当ページで紹介している私の演奏曲のまとめです。曲名と作・編曲者名のみの紹介となります。もし興味をもっていただけましたら、リンク先をご覧下さい。いわゆる堅めなクラシックギター曲だけでなく、ポップス曲やアコギの曲も紹介できればと思っています。

最近自分の嗜好や趣向が、保守的で伝統的な方向に向かっているのを感じています。だからこそ、このように過去の自分のスナップショットを用意していてよかったな、と思います。なんだかんだと、10年で40曲弱、、継続は力です。。。録音録画環境の考察も含め、またペースを上げられるようにしたいところです。

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登山って登りよりも下りの方がしんどいんだよ。

『登山って登りよりも下りの方がしんどいんだよ。』

若い頃にアルピニストを目指していたという彼は、そう語った。

『どうしてですか?』当時まだ中学生だった私は尋ねた。『登りの方がたいへんじゃないですか』

『見てご覧。遠くに麓が見える。僕たちはあそこまで歩いて行かなくちゃならない。』大分県の九重連山を下る道中だった。天気が崩れるまでに下らないと、と少し急ぎながら、彼は教えてくれた。

『登りは目の前に坂があるから、足元を見ながら一歩一歩進むしかない。そうやって進んでたら、いつの間にか頂上に着くんだよ。でも、下りでは、こうやって遠くまで見渡せるでしょ?景色が良くて最初は気分がいいのに、ふもとに全然辿り着かない。』

だから君は、遠くを見すぎずに、足元を見て一歩ずつ進んでいけばいいんだよ。山を登るときのように。そう彼が続けたのかは、実は定かではない。むしろ、後日私が頭の中で付け足した可能性の方が高いように感じる。子供が好きで山が好きだった彼は、登山中に人生訓を垂れる人ではなかっただろう。綺麗なはずだった景色も、大切なはずの会話も、いつの間にか朧気になってきてしまった。それでも私は、この時の情景を今でも大切にしている。

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さて、ギターの練習をしていると、全然上手くならない、どころかむしろ下手くそになったように感じる時があります。これはいくつかの可能性が考えられます。けど、落ち込まずに自分を励ましていこうぜ、っていう記事です。

要点:
・本当に下手になってないかの注意は必要。
・実際には上手くなっているのに、成長を感じられていないだけの可用性もあり、その内訳は、
①練習により目標が高くなり、現在地とのギャップが大きくなる
②今出来ていない内容が明確になり、その課題意識から目標が遠のいて感じる
・ここが出発点。踏み出す足はいつだって始めの一歩♪

以下、上記内容の詳細をつらつらとだらだらと細かく述べます。

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舞台での度忘れに備える、確実な暗譜のための練習法

久しぶりに、真面目な演奏ヒント記事です。舞台演奏での度忘れに備える方法。たった3ステップの簡単な方法ですが、実際にやるには訓練と根気がいります。しかし、その労力に見合うだけの絶大な効果があります。


①暗譜する
まず暗譜しないと度忘れすることもできません。頑張って覚えましょう。

②頭の中で演奏する
暗譜ができたら、今度はギターを持たずに頭の中だけで弾いてください。その時、左手の押さえだけでなく、右手の撥弦の動きも想定します。指の動きでなんとなく弾くのではなく、記憶から全ての動きを思い出すのです。曖昧になるところは、暗譜できていないところなので、改めて覚えます。これができるようになれば、次のステップへ進みます。

③ギターを演奏しながら、弾いている箇所の次のフレーズを思い浮かべる
最後のステップです。ここでは実際にギターを持って演奏します。ただしその際に、「いま演奏している箇所」の「1つ先のフレーズ」を頭の中で思い浮かべるようにします。この「頭の中で思い浮かべる」内容は、②で練習した頭の中で演奏している内容です。例えば1小節目を弾いているなら、2小節目のフレーズと運指を頭の中に思い浮かべる。1小節先が難しければ、1音先でも構わないので、『今弾いているとこの少し先を思い浮かべる』訓練をできる範囲からやってみてください。これができるようになれば、演奏を指の記憶に頼る必要がなくなるので、安定した演奏が可能となります。

必ずしも一曲通してやる必要もなく、『ここよくミスするな』という箇所に絞ってこの練習をするのもよいかと思います。一度試してみて、そしてご自身にあったやり方に工夫して習得しましょう。

はい、簡単でしたね(難しい)。舞台で度忘れする。急に弾けなくなる。そんな経験で苦労している方は、ぜひ一度試してみてください。

これを出来るようになっても舞台で真っ白になってしまうとしたら、それは技術的な動作の課題やメンタルの整え方など、別の課題があるかもしれません。しかし、漠然と「人前演奏ではいつも飛んでしまう」と悩んでいるならば、それは演奏を完全に覚えられていないことか大きな要因である可用性が高く、本稿の練習を繰り返すことで改善が期待できます。

ちなみに、こう言った取り組みが音楽的に魅力的な演奏に繋がるかは全くの別問題です。小難しいことを考えるよりも演奏に没頭したい!と言う主張があれば、それを優先することで良いでしょう。しかし、あなたがもしも暗譜に関する改善の糸口を探しているなら、この方法は試してみる価値があります。

ゆっくりな曲、簡単な短い曲で上記を試し、成功体験を積み重ねていくことが、いつか大曲・難曲を人前で弾くための近道となるでしょう。

(と自分にも言い聞かせる、、)


関連記事:譜読み、暗譜に際して考えてみたいことまとめ


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舞台での緊張/度忘れに備えるための対策まとめ

過去記事から、緊張のメカニズムやそれに備える方法、舞台での心得など、労易くリターンの大きいメンタル系の過去記事をまとめました。プロフェッショナルではない私だからこそ、皆さんと同じ視点で語れることがあると考えています。緊張や度忘れに悩んでいる皆様にとって、何かの気づきになれば幸いです。上がり症のあなたへ、それは生物として極めて正しい反応なんです。緊張はするものだ、その前提から、一緒に練習を始めましょう。

※2020/7/24の記事の修正再投稿です。「準備面で工夫していることはありますか」との質問箱をいただきました。過去記事ですが少しでも参考になれば幸いです。※

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道でゴミを拾った話

僕は真面目な少年であった。

真面目というのは、よく言えば規範を従うということであるが、悪く言えば他人の目を気にしているということである。親に怒られるのが怖かった。あいつ先生に叱られてるな、と思われるのが嫌だった。

そんな僕も少し大きくなると、なぜ自分はルールを守るのか、ということを考えるようになる。誰も見ていない、車も来ない真夜中の道路で赤信号を守るのは何のためだろうか。そんなことに頭を悩ませながらも、赤信号みんなが渡っても自分は止まる。そんな感じの学生生活を送っていた。きっと堅苦しくて息苦しいやつだったのだと思う。

でも、そういう拘りってエネルギーがいる。赤信号を渡らないと、それ自体が変わったやつと思われるんじゃないか。目立つことでかえって悪い結果を迎えるかもしれない。そんなこんなで、私はどんどん普通の人間になっていった。今の私は、どこに出しても恥ずかしくない普通の人間だと思う。もしかしたらどこに出ても恥ずかしい普通の人間になったのかもしれない。

先日駅前を歩いていると、前の方からビニール袋が転がってきた。昔の俺なら拾ってたなぁ。と思ってたら、ほんとに私の足元に向かって転がってくる。まさに一直線と言うやつだ。「転がってきたビニール袋を拾うおっさん」と「転がってきたビニール袋を無視するおっさん」、一体どっちが普通だ?どっちがダサい?そんな問いが頭を駆け巡る。でも、打算が完了するのを待たず、ゴミは私の足元に到着した。そして通り過ぎようとする。

思わず拾った。

誰も俺を見てなくても、俺が俺を見ている。

面倒くさいことに手を出したのは、実に久しぶりだ。ビニール袋にはゴミが入っていた。濡れていた。周りにゴミ箱がないので、仕方がないから家まで持って帰った。手が汚れてしまった、と後悔しなかったといえば嘘になる。けれど、清々しく少し誇らしい気分だった。

こんな些細なきっかけで、自分の好きな自分になれるんだな。そんなことに気づいた休日だった。
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