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ギターは体の一部? 脳科学からみる、人の体と道具の関係

※本記事は、2012年10月の記事の再投稿です※

毎日忙しいなぁ、なんて言ってたら髪の毛が伸び放題です。そろそろ散髪に行かないと・・。

ところで、この「髪の毛」は、あなたですか?あなたではないですか?
殆どの人は、「自分に決まっている」と言うでしょう。しかし、では散髪した後床に落ちている髪の毛を拾って同じ質問をされたらどうでしょう?この髪の毛はあなたですか?これはもう、自分ではないですよね。

私は昔からこの事をすごく疑問に思っていました。さっきまで自分だったものが、切られただけで自分でなくなることが不思議だったのです。そして、クラシックギターを弾くようになってこの疑問に拍車がかかるようになりました。なぜって、同じ事は髪の毛だけでなく「爪」にも言えて、クラシックギタリストと爪とは文字通り「切っても切れない」関係だからです。

クラシックギターを弾く人は、弦を押さえる左手の爪は短く切り、弦をつまびく右手は紙ヤスリを使って磨くわけです。右手の爪は、もうこれは自分の一部、まさに商売道具で丁寧に丁寧に磨きます。しかし、左手の爪は伸びてくると「邪魔だなー」てなもんでちょっきんです。そして、そんな左右不揃いな指先を見るにつけ、「自分と自分以外を分ける境界線ってなんなのだろう」なんて思うわけですね。磨いている右手の爪は「自分」なのに、切った左手の爪は、そこに落ちていて自分ではないのですから。

さて、話はクラシックギターのまつわる話に変わります。

学生時代のある時、私はジュリアーニの「大序曲」に取り組んでいました。この曲は、華やかで美しくて、しかもギターの性質をうまく引き立たせている素晴らしい曲ですね。私は、この難曲を弾き通せるようになったこと、しかも(当時の自分なりには)指が回って弾ける(と思い込んでいた)状態で、「俺もうまくなったもんだ」と要するに天狗になっていました。そして、ギター教室の発表会でいざ本番に臨むと、これが指が回らない。焦って弾けば弾くほどギターが遠くに行ってしまう感覚。確かに抱いているはずのギターが、「こんな取り組み方じゃ相手してあげないよ」と私を置いてどこかにいってしまいました。この残念で貴重な経験は、私に「いかにギターと一体になることが重要か」と言う課題を突きつけてくれ、その後の取り組み方を考える契機となりました。

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ギターがうまくなる魔法はあるか アナと雪の女王に見るエルサの本当の凄さとは

Let it go 〜ありのままで〜 で一斉を風靡したディズニーアニメ「アナと雪の女王」では、雪の女王ことエルサが使う雪の魔法は、多くの子どもたちを虜にしました。スケートなんか楽しそうだし、雪だるま作れるとか素敵やん?そしてなによりも、これから自分は自由になるんだとの気持ちで歌い上げるLet it go、そこで雪のお城を建てるシーンは圧巻です。

エルサの魔法凄い!お城が建てられるなんて! ・・いやいや、ちょっと待ってください。雪を自由に発生させる魔法が使えるようになったところで、普通はお城は建てられないです。エルサが凄いところは、魔法が使えることではないんですよ。

あなたは、手から雪を出せるようになったとしてお城を建てられますか?

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松尾俊介先生 打ち上げ語録

昨日6/17に、松尾俊介先生のマスタークラスを受講してきました。その際のレッスン、受講曲に関する内容は別の機会に譲るとして、今日は打ち上げで面白かった内容を備忘をこめて記載したいと思います。

って、別に飲みながら話したアホな面白話ではなく、真面目に面白い話の方です。アホな話の方が気になる方は、直接松尾先生と飲みに行きましょう笑


・こうしたい、と言う思いがあれば、それに対するレッスンができる。しかし、こうしたいが伝わってこない、どうしたらいいですか、教えて下さい、と言う姿勢だと困る。正解なんてない、と言うか正解の演奏が仮にできるのなら、もうレッスンの必要がないのだから。間違いを恐れず、自分のやりたいことを出してほしい。


・そういう意味では、「先生がなんといっても、私はこう弾きたいんです!」という生徒が出てきたら、思ったとおり育てられたことになるのかな。でも、実際それを言われたらめっちゃ腹立つと思うけど。

・答えを提示することはしたくない。方向性を示すので、その後自分でその曲と向き合って膨らませて行ってほしい。


・松尾先生が初めて福田進一先生のレッスンを受けた頃のこと。最初に、重い、軽い、などの言葉をピアノ、フォルテの中にカテゴライズしていった。それがあなたの大切な個性だから大切にするように、と。
(あしゃお)これは、自分の音楽的立ち位置をするために大切なだけでなく、その象限を意図的にひっくり返すことで、昨日までの自分と違った表現をするチャンスかもしれない。例えば「重い=フォルテ」の感覚を持っている人は、「軽いフォルテ」と言う発想に転回することにより新たに得るものがあるのではないかと。


・(あしゃお)基礎連の時間と曲を挽いてる時間が逆転してくると、練習するために弾いているのか、何が目的でギターを弾いているのかわからなくなる。
→それは、ステージで演奏することがすべて。聞いてもらってナンボ。ステージを目標にすべき。松尾先生の場合、2時間の演目のリハをするのに使う時間は45分までと決めている。プロも愛好家も、演奏時間と練習時間の関係は、相似形をなしている。プロだからたくさん練習時間が取れるわけでは、決してない。


他にもあった気がしますが、けっこう飲んだので忘れました(+_+) とは言うものの、日本クラシックギター界を代表する方の話は勉強になるところが多く、大変に有り難い時間を過ごすことができました。

あと余談ですが、松尾先生の教え子で私も小学生のころから知っている方がマスタークラスに参加されていました。その方が今年20歳になったという事で、飲み会で一緒にビールを飲み、バカ話も含めて色んな話をしました。なかなか感慨深いものがありました。そら俺も年を取るわなー。。

断定ブログは信用するな

インターネットが世に現れて20年余、情報の流通に関して世の中は大きく変わった。特に情報発信はマスコミ=マスコミュニケーションだけのものではなくなり、1個人が少ないコストで情報や思いを全世界に向けて発信できるようになったのだ。

2006年、もう10年以上前になる梅田望夫の「ウェブ進化論」では、ウェブ上での知識集約を2種類に大別して紹介している。1つ目はウィキペディアに代表される「オープンだが、誰かが作成した仕組み」に対して個が働きかけ知識を集積するシステム。2つ目は、独立した個が各々行動することで、自動的に発生する秩序、群衆の叡智『wisdom of clouds』だ。

現状では、これらの取り組みは失敗に向かっているのではないか。残念ながらそう思っている私がいる。ウィキペディアはさかんに募金をつのっている。そして雑多な発信は、その真意が定かではないもの、さらにそれをコピペしたような内容の文章で溢れてきた。情報発信がマスメディアだけのものでなくなり、信頼は権威の手から離れた。低コストで情報を収集できるようになったそのうらで、情報に対する信用が下がってきてはいないか。これから、我々は何を信じればいいのか。

性格も能力も違う人に、「東大生の勉強術」が本当に役に立つのか。身長も体重も異なるあなたに、プロ野球選手の技術をそのまま適応できるのか。与えられる情報を咀嚼し消化する責任は、もはや受けて側にある。

こと音楽に関しては、正解なんてものはないと思ったほうが良い。もしそんなものがあるのなら、人間が音楽をする必要すらなくなるであろう。AIに任せて最適解を提供してもらえばよいのだ。でも、それはあなたが音楽に、芸術に望むことかい?

音楽のイデアは存在しない。その観点に立ったものは、みな自らのパースペクティブでそれぞれの音楽を求めなければならない。インターネットがどんなに進化しようと、検索システムがどんなに良化されようと、それは解決策足りえない。なぜなら、そこに答えはないからだ。

自分の意見を「正しい」と言い切れる人は、よほどの自信家か、かなりの勉強家か。意見の多様性を感じられない人の正しさを疑う自分の意見を持て。

断定ブログなんて、信用するな。

松下隆二

今日は、ギタリストとしてのみならず、音楽家として、人間として私が敬愛して止まない方を紹介したいと思います。松下隆二先生です。

松下先生は、九州は福岡在住のクラシックギタリストです。とは言え、松下先生は「クラシックギター」にその根本や由来らしきものがある、というだけで、本質的には自分をそんな狭い定義で捉えてらっしゃらないようにも思いますが。本来であれば私が紹介するまでもない有名人ですので、公式なプロフィールはご本人のサイトに任せたいと思います。と言った感じで記事を書き始めてみましたが、書き連ねていくうちに、「私と松下先生」とでも言うべきエッセイ、一種の恋文になりました。ご本人の紹介と呼べるか少し怪しくなりましたけれども、松下先生の魅力が伝わればいいな、ということで長文お付き合い宜しくお願い致します。


今改めて調べてみると、私が先生を初めて知ったのは、2010年のことのようです。九州在住の松下隆二という人が、大阪でレッスン会を開く、丁寧な指導に定評がある方なので是非どうか、と声をかけていただいたのがきっかけでした。そのときに聞いたのは、携帯電話を持たず、やり取りはFAXだ、と言う、怪しげな情報。。うん、それは凄い人か、変人か、どちらかだ。すごい変人の可能性もある。。

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