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ブログの投稿を続けてわかったこと

ブログ強化月間と言うのを4月に始め、5月に入ってからは毎日投稿を続けてみました。そうして、わかったことがあります。

・エッセイ的な、思いつくままに綴る系は、比較的簡単にかける。しかし、決まった結論に向けて肉付けするのは、難しい。

こうして言葉にしてみると、何当たり前の事を言ってるんだ、といった感じになりますが、、 普段考えているつもりのこと、理解しているはずのことでも、系統建てて論じようとすると意外と辻褄が合わなかったり、補強が必要だったりするものですね。インプットだけではなく、アウトプットすることも大切、という事を身にしみて感じることができました。

・音楽と言葉には似ているところがある。
記号を判別し、中身を理解し、表現する。文字と言葉の関係は、楽譜と音楽の関係に通じるところがある。ブログを通じて改めて言語を使い母国語と向き合う中で、音楽に関しても新たな視点を持つことができました。

こう言ったメタ的な視点というのは、人間を人間たらしめる重要な能力の1つだと思うんですよね。原子の構造を学んで、太陽系の動きを思い出す、とか。


・継続ってたいへん
はい、これはやる前からわかってました。、でも、なんだかんだ5月いっぱいまで続けることができました。これもひとえに皆様の応援のおかげです。いや、ほんとに拍手機能をポチッとしていただける回数が明らかに増え、やってみてよかったなと思っています。

正直なところ、思ったよりネタ切れ感はなく、書いてみたいことは色々あります。しかし、それを毎日「発信すべき」レベルまで仕上げるのには息切れ感があります。今日みたいな日記なら続けられますが、それをすると「ギターブログ」としての濃度が落ちていくことになりますよね。

数値目標をたてることは大切ですが、それにとらわれて当初目的=クラシックギター好きに一人でも多くなってもらいたい、に繋がらない行動となっては元も子もありません。

今後は、本数よりは質を重視するように目標を変更し、皆様の役に立てるブログを目指します。しかし、単に「毎日じゃなくていいや~」とするとダラダラ更新しなくなるのも目に見えていますので、週2本、有用な記事、のような適切な目標を考えていきます。

ちなみにこれも、仕事での問を趣味にも展開した、メタ的な考えですね。有用な記事、の指標が欲しくなってくるところです。。


1愛好家ではありますが、1愛好家だからこそできることを今後も続けてまいります。これからも宜しくお願いいたします。

麻尾

STRENGTHS FINDER2.0 ~さあ、才能に目覚めよう~

※2019/5/30 追記※
私事ですが(それを言ったらこのブログ全部だ)、この5月で職場異動となり、職種が変わりました。同じ事業内なので顔見知りばかりではありますが、仕事内容が変わり、立場が変わると見え方や感じ方が色々新しくなり、新鮮に楽しでいます。異動仕立ての割に予想していたより忙しくはありますが。

組織/仕事があたらしくなることで、自分の役割やキャリアパスを一新する必要が出てきました。自分の強みと弱みを再確認したい、とのことで本記事の本を再活用しています。
※追記ここまで※



STRENGTHS FINDER2.0 ~さあ、才能<じぶん>に目覚めよう~
トム・ラス著、古谷博子訳 日本経済新聞出版社

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作家のマーク・トウェインは、死後、天国の門で聖ペテロと出会った男の話を書いている。男は生涯抱いていた疑問を賢人として知られる聖ペテロにぶつけた。
「聖ペテロ、私はずっと歴史に関心がありました。誰が史上最高の将軍ですか」
聖ペテロはすぐに答えた。「簡単だ。あそこにいる男だよ」
「何かの間違いでしょう」。男は当惑した。
「彼とは地上で知り合いでしたが、ただの労働者でしたよ」
「友よ、そのとおりだ」。聖ペテロは答えた。
「彼は史上最高の将軍だった。もし彼が将軍になっていたらね」
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P29 より引用

間違った方向に向かった努力をするのではなく、自分の持つ才能に対して投資をすることで強みにしよう、というのが本書の考えであり、それを表す逸話として上記引用部分が語られています。

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Guitar Duo KM - Oblivion, A. Piazzolla

私がタンゴの革命児アストル・ピアソラ好きだということは、このブログでもたびたび申し上げてきました。ピアソラに関しては、本人の演奏も含め、ギター以外の演奏もそれなりに聞いています。もちろんギターで演奏されるピアソラも大好きです。ピアソラのギター向け編曲としては、アサド編、ベニーテス編、ビリャダンゴス編などいろいろあります。そんな中、YouTubeで公開されていたオリジナル編曲のデュオが本作品です。

Oblivionは忘却、の意味で、ピアソラが映画向けの楽曲として作成したものです。曲としては、ミルバのボーカルバージョン、クレーメルのバイオリン編などいろいろ名演がある中で、このギターデュオはそれらにひけをとらない素晴らしい演奏ではないか、と思います。



ピアソラらしい1-4-7のミロンガのリズムに乗って聞こえる美しい旋律。それを、太くしかし優しく奏でる鉄弦の旋律、美しいナイロン弦のメロディ、随所に現れるハーモニクスの煌めき。音色すべてを使って綺麗に表現しています。先日、クラシックギターの魅力は、消えゆく音の美しさだ、という記事を掲載しました。この演奏は、クラシックギターの魅力を最大限に発揮して、忘却というタイトルに相応しい儚さを表現した、傑作だと思います。2:47~のメロディラインとか、鳥肌ものですね。

いつか誰かとデュオをできるときには、この曲の楽譜を手に入れて演奏したい、本気でそう思っています。

松下隆二

今日は、ギタリストとしてのみならず、音楽家として、人間として私が敬愛して止まない方を紹介したいと思います。松下隆二先生です。

松下先生は、九州は福岡在住のクラシックギタリストです。とは言え、松下先生は「クラシックギター」にその根本や由来らしきものがある、というだけで、本質的には自分をそんな狭い定義で捉えてらっしゃらないようにも思いますが。本来であれば私が紹介するまでもない有名人ですので、公式なプロフィールはご本人のサイトに任せたいと思います。と言った感じで記事を書き始めてみましたが、書き連ねていくうちに、「私と松下先生」とでも言うべきエッセイ、一種の恋文になりました。ご本人の紹介と呼べるか少し怪しくなりましたけれども、松下先生の魅力が伝わればいいな、ということで長文お付き合い宜しくお願い致します。


今改めて調べてみると、私が先生を初めて知ったのは、2010年のことのようです。九州在住の松下隆二という人が、大阪でレッスン会を開く、丁寧な指導に定評がある方なので是非どうか、と声をかけていただいたのがきっかけでした。そのときに聞いたのは、携帯電話を持たず、やり取りはFAXだ、と言う、怪しげな情報。。うん、それは凄い人か、変人か、どちらかだ。すごい変人の可能性もある。。

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イスタンブールの雪

急に暑くなってきましたね。みなさん体調はいかがでしょうか。我が家では今日から扇風機が稼働し始めました。こんな暑い日には、少し涼しい音楽はいかがでしょうか。

というわけで、カルロ・ドメニコーニ作曲の「イスタンブールの雪」(Carlo Domeniconi - Schnee in Istanbul)を紹介します。ドイツのギタリスト兼作曲家 Franziska Henke さんの動画です。



自分で演奏したいと思って楽譜を調達するには、いろいろなインプットがあります。CD、コンサート、発表会などなど・・。YouTubeの動画も当然その一つなのでしょうが、私はどちらかというとコンサバな人間でして、自分が動画投稿までしている割にはその動画に大きな影響は受けていませんでした。そんな私が、YouTubeのこの演奏のみで楽譜を購入することを決めた、極めて珍しい楽曲です。曲自体ももちろん、彼女の演奏を聞いて、私もこの曲で表現したい、と強く感じたためでした。彼女には作曲家の顔もある、とのことも納得の、説得力に満ちた美しい演奏だと思います。

ドメニコーニの曲にしては珍しく(?)、調弦はノーマルチューニングです。また、曲を通してほぼ二声、あるいは低音を入れて三声となっていて、メロディーと伴奏を兼ねる音符は上下両方に棒をつける、など約束事もわかりやすい表記。いわゆる練習曲はあんまり好きじゃないなぁ、と言う方にも、自然と楽譜の勉強ができる曲としてお勧めです。


こう暑い日が続くと、空から雪が落ちてくる季節が待ち遠しくなりますね(気が早すぎる・・)。今から譜読みを始めれば、雪の季節の発表に間に合うのでは!?

音楽は始まるのか、始めるのか

少し前ですが、2016年に池田慎司先生の公開レッスンを受講したことがあります。そのときに、別の方のレッスンで非常に印象に残る内容がありました。

その方の受講曲はF.ソルの「マルボローの主題による変奏曲」でした。最初のフレーズが5弦単音の優しいフレーズで始まり、出だしから歌心が要求される曲です。受講者の方は課題意識として、「練習すればするほど、最初の入りが怖くなる。弾けば弾くほど緊張する。」ということを挙げてらっしゃいました。

それに対する池田先生のアドバイス。「どこか遠くからテーマが聞こえてるようなイメージで。大きな時間の流れにのっていく。自分が音楽を始めるのではなく、どこかで始まった音楽に自分が乗っかっていく。」というものでした。

この「音楽が自然と始まる」と言う考え方が当時非常に腑に落ち、気に入りました。それをとにかく実践したくなり、普段の猪居ギター教室でのレッスンで、ソルのエチュード1番を「音楽が自然と始まるように」演奏してみました。すると、師匠の評価は「曲の最初に気持ちが入っていない。なんとなく始めていませんか?ちゃんと最初から気持ちをいれるように」とのことでした。

この時はいろんな気持ちが入り混じった、複雑な心境になりました。何かと言うと、「おお、この人ほんとに耳いいなぁ、聞いてくれているなぁ」という改めての驚きと、「音楽を始めるのではなく、音楽が始まるんだ」という表現はきちんとできていたんだな、と言う自信。そして、「音楽は始まるのか、始めるのか」、それは曲によって適切に使い分ける必要があるんだな、と言う言われてみれば当たり前の気づきです。

マルボローは、そういう観点でいけばまさに、テーマが自然と鳴り響いてくる、遠くから聞こえてくる、の筆頭のような曲ですね。タンゴアンスカイの最初とかも、おしゃれにそーっと、気づいたら始まっていてもいいかもしれない。大聖堂の最初も、際どいところかもしれませんが、空から音が降ってきた、みたいな感じで、大きな流れの中で始まるのもいいかもしれません。ソルのエチュード一番は、どうなんだろう。どっちもありだと言う気もします。もしかしたら、ステージの広さや客席の空気感、聞く人の集中力、その曲の演奏順など様々な要因によっても、どちらが適切かは変わるかもしれませんね。

以前喫茶店で演奏の機会があったときに、ディアンスの「サウダージ第三番」を一曲目に選びました。最初から派手に和音をかき鳴らす曲で、これなんかも「自分で音楽を始める」類のものかと思います。で、照明をしてくれるという店長さんには「音がじゃっと入ったらライトを付けてください」とお願いしておいたんですね。で、曲冒頭の和音からどーんと入ったのですが、、この曲、聞いていただくとわかると思いますが1番「儀式」は確かによくわからない曲。店長さんには曲が始まったことが伝わらず、、準備運動の延長と思われたみたいで、、結局電気がついたのは2番「踊り」が始まってから、という残念なこともありました。。まあこれは、事前の打ち合わせ不足なんですけど、広義の意味では曲の始め方の課題かもしれませんね。

その曲を自ら始めるのか。大きな時間の流れの中、音楽が自然と始まるのか。取り組んでいる曲、大好きな曲を前に、みなさんぜひ改めて考えてみてくださいね。

クラシックギターの魅力 ~消えゆく音の美しさ~

※2019/5/24 再投稿※
今日は会社で飲み会がありました。ブログの更新準備が間に合わなかったため、過去記事の再投稿とさせていただきます。ブログネタになりそうなものを一覧で管理、準備している中で、酔っ払った頭でも問題なさそうなのがこれでした\(^o^)/ とか言ってますが、これはギターの音について語る上で、外すことのできない大切な観点だと思っています。
※追記終了※



少し前の話になりますが、テレビ朝日系列「題名のない音楽会」の1月30日の放送で武満徹の特集が放送されていました。タイトルは、「日本の巨匠 武満徹~音が沈黙と測りあうとき」でした。

武満徹さんは日本を代表する作曲家で(1996年に逝去されています)、クラシックギタリストにとっても大変重要な楽曲を作・編曲もなさっています。

武満徹さんの音楽を評して、指揮者の佐渡裕さんは「耳を澄ましたくなる。音が消えていくまで耳を傾けていたくなる」と語っておられました。また、作曲家でかつては武満徹さんのアシスタントをされていたという池辺晋一郎さんは、「音が消えた後にもテンションがある。書道の世界では、文字の黒い部分が大切なだけでなく、文字がない余白の部分も大切。それと似た感覚」と述べられていました。


これは、クラシックギターを語る際にもかなり重要な感覚です。と言うのも、クラシックギターの特徴として、発した音がその瞬間から減衰を始めることが上げられるからです。クラシックギターでは、一度出してしまった音を持続させることは一切できません。それに対してバイオリンのような擦弦楽器や息で演奏する管楽器は、一度出した音を伸ばすことだけでなく、強めていくことさえできます。ピアノは本体の中の弦をハンマーで叩いて音を出しますが、音を持続するための長音ペダルを使用することである程度音の長さをコントロールできます。このように他の楽器と比較すると、クラシックギターの音を持続させられない特性は、欠点のように思われます。

しかし、この点はクラシックギターの短所であると同時に、最大の魅力なのです。

人気の若手クラシックギタリスト大萩康司さんは、昔テレビのインタビューでそのものずばり「弾いた音が消えていくところがギターの最大の魅力だ」と語っていました。世界最高のギタリストの一人ジュリアン・ブリームさんは、「クラシックギターの一番美しいところは消えていく音の後ろ姿だ」と表現したそうです(残念ながら、また聞きです)。また、松下隆二先生は、「他の楽器では練習しないと得られない美しい減衰が、クラシックギターでは最初から誰でも出すことができる」と言う言い方でクラシックギターの音の魅力を語っておられました。第一線で活躍されるギタリストの方は、自身の扱う楽器の特性を明確に理解した上で、それを長所と捉えて演奏されているんですね。

また、このような観点から考えると、武満徹さんの楽曲がクラシックギターにとって重要なレパートリーとなるのも納得がいきます。消えゆく音の美しさを表現した曲を、消えゆく音をもっとも美しく響かせる楽器で演奏する。素晴らしい組み合わせですね。


ともすれば、派手な曲や分かりやすい演出が受けやすい世の中ですが、、

「消えゆく音に耳を澄ませ、沈黙と測りあう」

そんな気持ちを忘れず、奥の深い演奏を心がけたいものです。

そっと、ぼくらの、アレンジメント

※5/23 文中に追記し再投稿しました※

先日の記事でも取り上げた、ローラン・ディアンスによる名編曲が満載の楽譜集が、”Mes arrangements a l'amiable”てす。

この楽譜集、表紙に日本語が書いていまして、それが「そっと、ぼくらの、アレンジメント」なんですよね。うーん、意味がよくわからない、、

原題を英訳すると、My arrangements to "amiable" となります。"amiable" が聞き慣れませんが、そのままフランス語にも英語にも存在する言葉で、amigoやamorなどと語源をともにする言葉とのことです。名詞として使われていることから考えると、「親愛なる人に捧げる、私の編曲集」と言ったところでしょうか。フランス語でのamiableの使われ方を知らないので、ディアンスが他の意味をこめていたかまではわかりませんが、いつかフランス語に堪能な方に合えたら意味合いを聞いてみたいものです。
一応、会社でフランスの会社で働いた経験のある同僚に聞いてみたものの、返事は「amiable知らないです・・」とのことでした。。

※5/23 追記※
こんな記事を書いてすぐなんですけど、職場にフランス人とアメリカ人が出張できまして、一緒に飲みにもいったので、酔っぱらう前に本題について聞いてみました。恵まれてます。

amiableはamicableとだいたい同じ用法で、friendlyとか gentle negotiation の意味だよ。Amigo, Amorと語源は一緒だけれど、Loverのような意味にはならないね。とのことです。それを音楽の関係で使う意味がわからん、と食い下がると、”うーん、easy to play”かなぁ、と。

確かに、演奏者に対して友好的ということは、演奏しやすい、と解釈することは可能ではあります。でもこの人の編曲めちゃ難やねんけどー、と言うと、そこまでタイトルの意図はわからんがな、とのことでした。ディアンスとしては、演奏家に対してフレンドリーな編曲集と思ってタイトルをつけ発売していたのかもしれませんね。ただ、何度か聞いても、to loversとか to friends(親愛なる人へ、友達へ)と言った意味合いではない、ということはかなり明確に言われました。というわけで、私あしゃおが意訳で改めて邦題をつけるなら!

「みんなで弾こう!ディアンス編ギターソロ曲集」と言うことでご決裁をお願いしたいなと思います。ほんとは、「誰でも弾ける!」とか「簡単アレンジ!」の方が原題のニュアンスが出るのでしょうが、中身を知ってる身としては、弾きやすいとか簡単とか、口が裂けないと言えないですね。。汗

※追記ここまで※


曲集のタイトルはともかく、掲載されている曲は選曲も編曲も本当に優れたもので、お勧めです。

ローラン・ディアンス 編曲集
Mes arrangements a l'amiable

・マズルカOp.68-4 (F.ショパン)
・ワルツOp.69-1 (F.ショパン)
・ワルツOp.69-2 (F.ショパン)
・エル・チョクロ (A.ビジョルド)
・ラウンド・ミッドナイト (T.モンク)
・グノシェンヌ no.1 (E.サティ)
・インディファレンス -無関心- (J.コロンボ/T.ミュレナ)
・ヌアージュ -雲- (D.ラインハルト)
・フェリシダージ (A.C.ジョビン)

Mes_arrangements_a_l_amiable.jpg

初稿:  2019/5/20
追記:  2019/5/23

追々記: 2019/7/1
現代ギター社によると、この編曲集のタイトルは「ディアンス:出会いの編曲集」らしいです。これはこれで意味がわかるようなわからないような。。

[手工ギター紹介] 野辺雅史ギター

※2019/5/22 追記再投稿※
私が今主に使用しているギターは、この記事を投稿した当時から今も変わらず、野辺ギターです。正確には、野辺雅史さんのギターです。お父様の野辺正二さんも、すでに他界されていますが有名なギター製作家であられたため、単に野辺ギターと言うと混同されることも多いですが、私のは息子さんのギターですね。

その特徴は、下記元記事にもあるように倍音成分の少なさで、その結果として和音の分離性がよく、また遠達性にも優れていると感じています。「あしゃお君の演奏を聞いて野辺ギターを欲しいという人が何人もいるんだから、自分の音に自信持ちなさいよ」と私の師匠猪居信之先生がよく言ってくださります。お世辞とは言え嬉しいなぁ、と話半分で受け取っていましたが、先日、本当に「あしゃおさんの演奏を聞いて野辺ギターを買いました」という方に直接お話を伺うことができて、これはちょっと、本当に、だいぶめっちゃ嬉しかったですね!(どないやねん)

ギターが持ち手を育て、持ち手がギターを育てる。そんな好循環を今後も続けていけたらなぁ、と思っています。
ちなみに、私が張っているのはプロアルテ ノーマルテンションです。これまで、ドーガル社ディアマンテ ノーマルや、サバレス社ニュークリスタル・カンティーガなども試してみましたが、私の野辺ギター+私の弾き方とはあまり相性がよくなく、結局プロアルテを使用しています。


※以下元記事となります※

私が今使用しているギターは、野辺雅史さんの2004年製作楽器です。

それまで使っていた桜井ギターは、大きないい音がするのですが、逆に繊細さには欠けるところがあって気になっていました。よく言うと「調子が悪くてもそれなりの音を出してくれる」のですが、悪く言うと「音を出したくないときも出てしまう」と言う感じです。どんなときでも桜井ギターの音を響かせてくれて、弾き手や弾き方を選ばないところがあったのです。

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大きな音は聞こえる音か

クラシックギター独特の言い回しに、「遠達性」があります。音が以下に遠くまで届くか、と言うものです。音の分離や倍音成分との大きく関係しているものだと思います。今回は、そんなあやふやなものに関して考えたレッスンでの話。

コンクールのあと自分の課題を考え結果、ホールでもしっかり響く大きな音を出す、という事をテーマとしていました。そして、そのための指の新しい動きを考えて昨日猪居ギター教室のレッスンに行きました。

アプローチとしてはある意味単純で、右手の指を根本から動かし、回転半径を大きくすることで物理的なエネルギーを増加させよう、と言うものです。スケール練習していて、お、これはちゃんと大きな音が出ているな、と手応えを感じていると、傍らの師匠は何とも言えない不安そうな、否定的な表情。。色々私を傷つけないように言い方を選んでくださっていましたが、まぁ一言で言うと、止めとけ、ってことでした。。

色々話して考え方や捉え方がとても勉強になったのですが、結論としては、たぶん私の課題設定がよくなかった。大きな音を出す、ではなく、よく聞こえる音を出す、とすべきでした。

大きな音、と誤って目標を設定することで、私は無意識のうちに、物理量としての大きな音、エネルギーの大小を考えていました。

しかし、演奏を届ける相手はマイクでも音量計でもなくて、人なんですね。物理量として空気の振動が大きくなっても、それが耳障りになったり声部が濁ったりしては逆効果でした。

おそらく、昨日の私のアプローチは、音の芯(それが正しい?言い方かはわかりませんが)ではなくそれ以外の成分、たとえばギターの傍で鳴る音や倍音成分など、が増えて結果的に聞こえにくくなってるよ、と言うのが師匠のポイントなのかなと思います。

課題設定を「大きな音」から「多くの人の耳元で聞こえやすい音」に修正し、そのための技術を磨く方法を考えたいとおもいます。

ただし、何か変えていかないと次のステージに向かえないのでは、ないか、という恐れがあるのも事実です。何かしたくて、いやしないといけない気がして、むずむずしています。答えのない、「いい音」を目指して、まだまだギター道は続きます。