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愛好家向けクラシックギターコンクール情報 アマチュアだってコンクールに挑戦しよう! 


2023/1/某日
本ページの内容を継続メンテ出来なくなってきたので、近いうちに本ページは削除、あるいは大幅修整します。もし検索からこのページに来られた方がいらしたらもうしわけございません。

2022/7/18 第47回ギター音楽大賞の課題曲を反映しました。

2022/6/22 春のコンクールラッシュが終了し来年度の情報も出始めたので、各種情報を更新しました。最近は課題曲が易しめでも出演者がバリバリにレベル高いパターンも増えてきてる気がしますが、、まぁまずは課題曲で事前審査合格することがスタートだから(震え声


クラシックギター愛好家向けのコンクールをまとめました。コンクールはプロを志す方にとって登竜門であるだけでなく、愛好家の方にとっても有効活用できるものであると思います。

ここでは、いわゆる「職業的ギタリスト」を目的としない方でも挑戦しやすい、課題曲の負荷が量的/質的に少ないコンクールを中心に紹介をしています(あくまで管理人の独断と偏見です)。もしこのコンクール載せてとかあればご連絡ください。

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出田りあ&村治佳織デュオリサイタルを聞いてきました

マリンバ奏者の出田りあさんと、クラシックギタリスト村治佳織さんのデュオリサイタルを聞いてきました。マリンバと言う普段馴染みのない楽器を、村治さんを通じて知ることができ楽しかったです。

リサイタルの感想の第一声でこれを言うのは失礼かもしれませんが、初めて生で見る村治佳織さんがお美しくて、ため息が出そうでした。お顔立ち、スタイルが良いのに加えて、所作が洗練されている。舞台上で多くの方に見られることに完璧に順応している、そんな感じでした。

以下、好き勝手な感想の後に演奏曲の一覧を載せています。

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やくざなバイヨン(ジスモンチ) ~デュオ アサド~

Baiao Malandro(やくざなバイヨン)
作曲: Egberto Gismonti
演奏: Duo Assad


ブラジルの誇る大作曲家ジスモンチによるやくざなバイヨンを、同じくブラジル出身の偉大なるギターデュオ アサド兄弟が演奏した、グルーブ感と疾走感の半端ない曲です。バイヨンと言うのはリズムというか、ダンスや民族音楽の名称です。でも、じゃバイヨンって何?、と聞かれると、説明に困りますよね。そんなとき、この曲のノリですよ、と言える曲の1つがこの「やくざなバイヨン」ではないか、とおもっています。

バイヨンはブラジルのバイーア州で生まれました。というか、バイーア州発祥だからバイヨンと呼ばれるようになった、という方が適切でしょう。さて、ブラジルのバイーア州、と言えば何か思い出す曲はありませんか?

そうです、我らがディアンスのサウダージNo.3ですね!サウダージNo.3には副題があり、「F.Kleynjans に捧ぐLembranca do Senhor do Bonfim (ブラジル バイーア州 ボンフィン教会のお土産に)」となっています(みんな知ってたよね!?)。若かりしディアンスがブラジルを訪れた際に、その思い出を曲にしたのがサウダージNo.3ですね。もちろんサウダージも、バイヨンに分類される曲です。ここで紹介した2つの楽曲、楽譜におこしてアクセント記号を書くと違うリズムになるのかもしれませんが、そこから導き出されるノリには確かに共通するものがあるように思います。それこそがブラジルの、バイヨンなんでしょうね。


冒頭で紹介したやくざなバイヨンは、その名も「ブラジルの魂」と言うCDに収録されています。アサドがアントニオ・カルロス・ジョビンに捧げた名曲ジョビニアーナなども収録されていて、非常にお勧めの1枚ですよ。

ところで、この記事を書いていて気づきました。ディアンスがこの曲を書いたのは1980年、1955年生まれのディアンス若干25歳での傑作です。それは知識としてあったのですが、その時本楽曲を捧げられたクレンジャンスは、1951年生まれでまだ20代の29歳だった計算になります。お互いに若いころからその才能を認め合っていたのですね。

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ギターを弾くのが好き、というだけでここまで来てしまった

 もう随分と前のことになるのだが、自分が仕事をするようになって、社会人というものの楽しさと辛さを理解するようになったある日、ふと、自分の父親は私が生まれる前から仕事をしているのだ、という事実に気付き、それ以前から好きであった父に、改めて尊敬の念を抱くようになった。それと同時に、仕事上で好きになれない人たちのことも、長きに渡り社会人生活を続けていると言う事からだけでも、尊重して付き合わないといけないな、と感じたことを覚えている。

 昨秋に40歳になり、今度は自分が「この人は私が生まれる前から仕事をしているのだな」とそう思われる年齢に近づいていることを感じる。近づいているどころか、自分の子どもたちから見れば実際にそういう存在だ。本来であれば、他者に対する尊敬や尊重の念というものは、年齢や年数に依存せず、親子関係にあるかも関係なく、あらゆる他者に等しく持つべきものであるのかもしれないが、いずれにせよ私は、他者から見たときにこの人はずっとこの仕事をしているのだな、と思われる年齢に差し掛かっている。果たして私は同僚や後輩から尊重してもらえるような社会人生活をおくってきているだろうか。

 さて、私は大学に入ると同時にギター部に入ることでクラシックギターを始め、ギター部を卒部する大学3回生のときに今のギター教室に通い始めた。大学生のときから通っている、ということは社会人になる前からと私の場合は同義であって、大学入学の年度から計算するとちょうど20年前のことらしい。人生の半分だ。大学生と話すときは、私はあなたが生まれる前からギターを弾いてます、どころか、私はあなたが生まれる前から今の先生に習っています、と言うところで来てしまった。

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