私は、カルカッシのエチュードを用いて、脱力などのメカニカルな部分を見て欲しい、と言ってレッスンを受けました。結果、もちろんメカニカルな部分のアドバイスはいただきましたが、どちらかというと、エチュードを「音楽的に」弾くことに主眼をおいたレッスンをしてもらうこととなりました。これは、技術はあくまで音楽を表現するためのものであり、表現なくしてテクニックを磨いても仕方がない、技術と表現は表裏一体である、と言う松下先生のメッセージなのかな、と私は受け取りました。
また、レッスンの後食事会で松下先生がおっしゃられていた一言も印象的でした。
私が「クラシックの曲にクラシックとして取り組もうとすると、どうしても専門に研究している人に敵わない。なので、クラシックのテクニックを積極的に取り入れていきたいと思って、今日は音楽的な内容よりもテクニックを教えて欲しいとお願いした」と言ったようなことを言ったところ、
アマチュアの方がプロの方に敵わないとは限らないんじゃないですか。一流のコックさんじゃなくても、おいしい家庭料理を作ることができますよね。むしろ、プロと言うと、こうしなきゃいけない、こうあるべきだに縛られるときもあるので、自由なアプローチをできるのが羨ましいときもあるんですよ。
うん、ビールを(一杯だけだけど)飲んでいたので、なんか自分に都合の言いように翻訳してしまった気がする。けれどとにかく、なんか、励まされました。よし、演奏もっと頑張ろう!と思いました。自分のいいと思うことをやる自由さと、プロのいいところを取り入れることは必ずしも矛盾しない。そんなの簡単なことなのに、プロへの僻みと言うか劣等感みたいなもののせいで、変に難しく考えていました。
先日の福田先生の
枝豆の話と共に、有り難く胸にしまわせていただきたいと思います。
松下先生、主催の高橋さん、協力の大阪ギタースクールさん、ありがとうございました。
以下、具体的なレッスンメモです。
#いつものごとく、レッスンを受けた上での私の解釈であり、誤解や誤記があっても松下先生の責任ではありません。
・カルカッシのエチュード
全音社のカルカッシのエチュード(溝渕浩五郎編)は、リョベート編を元にさらに溝渕さんの注釈等が込められていて、必ずしもカルカッシの意図した通りではない。
例えば、下記の通り
○No.2
「espressivoとは表情ゆたかにとの意味であるが、あまり表情をつけすぎるとくどく下品になるから注意すること。」との記載があるが、これは時代背景を考えること(溝渕さんは明治44年生まれ)。当時の日本ギター界だと、「表情豊かに」と言うと演歌っぽくゆらしたり爪っぽく弾いたりくどくなる人が多かったのではないか。現代だとそんな人は少数だろうから、きちんと指示通りに表情をつけて弾けばよい。
→トニックからドミナントへの和声の変化、ペダル音の持続や解決などを感じて、表情豊かに弾く。
○No.7
・pamiのトレモロ奏法の指使いの指示があるが、オリジナルにはこの記載はない。カルカッシ的には、pimiの指使いで弦をまたぐことを意識して書いた可能性もある。(タレガの弟子のリョベートが、トレモロ奏法の練習曲として追記したのかな?)
○No.8
Aの2小節目やBの3小節目などは、開放1弦のミを使っていて、元々はスラーの指示ではない。また、B2小節目のド♯はナチュラルの間違い(元々調号が入っているのに、臨時記号でドをシャープにするはずがない)。
あとは、
・フレーズは各小節の1拍目で終了して、その裏から次のフレーズが始まることを意識すること
・和声を感じること。
・同一弦の下降スケールで順次複数の音を出していく場合は、始めに左手で全てのフレットを予約してしまうこと。逆に上昇スケールの場合は、次の弦に映るまでは一度おいた左手を動かさない(基礎練習と割り切るならの話)→こう言う練習を繰り返すことで、自分にとって素直で最適な運指が身についていく。
以下は、他の生徒さんのレッスンを見ていたときの一般的な内容です。
・プレリュードとは元々、調弦・調律を確認する目的で即興で組曲の前に演奏されていたもの。様々な調性での響きを確認する必要があるので、転調を繰り返す構成となった。なので、即興的に、手探り状態のなかで次の転調先を探すように演奏するとプレリュード的となる。
・音色の変化で音楽表現をするのは、ギターにとって諸刃の剣。なぜなら、他の楽器では音色の変化なしで音楽表現を現にしているから。音色の変化に頼りすぎず、しかしギターのよさとして音色を生かすバランスが大事なのではないか。
・パッサカリアはシャコンヌと似た様式で、2拍目にアクセントがくる。
・ヘミオラに関しては、同一曲のなかでやってもやらなくても自由。センス!ただし、ヘミオラの可能性があることに気付いているのにしないのと、気付いていないのとでは大違い。とは言っても、そもそも、ヘミオラかどうかは断言できるものでもないので、終止形の前では、「ヘミオラがあるんじゃないか」と勘ぐりながら楽譜を見るくらいの方がよい。
・多層的に重なる曲は、声部毎の横の繋がりを意識して演奏すること。演奏する際に、意識する声部の旋律を歌いいながら弾くのはよい練習になる。
松下先生、主催の高橋さん、共催の大阪ギタースクールさんありがとうございました。
こう言ったレッスン会は、自分が受けるのはもちろんのこと、他の方のレッスンを聞くのも大変参考になります。ご興味がある方はぜひ参加してみてください。もちろん私にご連絡いただいても、関西近郊のレッスン会は案内させていただけるかと思います。→連絡先は
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