しかし、今や時代は変わった。「Aとは何か?」とググれば答えが出てくる。あるいは、知恵袋で誰かが教えてくれる。本来なら文化と文化のせめぎあいであるところの言葉でさえ、「Question」と入れれば「質問」と一義的に返ってくるようになった。手間暇、面倒くささとの葛藤の中で、時間をかけて探し出すもの、自分なりの解答を作り出すような時代は過ぎ去ったのだ。
もし世の中が単調さにあふれるようになったとしたら、もしも打算的な人が増えたとしたら、それは「A」と聞けば「B」という解答がある、という前提、あるいは「正しさ」にはスマートにアクセスすることが可能なのだ、と言う受動的発想が根底にあるのではないだろうか。
そのような考え方に慣れている人からすれば、「この曲の『正しい』弾き方を教えてください」という質問を投げかけ、答えを求めることはなんら恥ずべきことではなく、むしろ誇るべきスマートな方法とすら言えるかもしれない。
もう一つ思い出したのは、水面に浮かぶ人、水中にもぐるる人、という説話である。これも少し長くなってしまうが、引用したい。
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ノーマン・マルコムの『回想のヴィトゲンシュタイン』の中に、ウィトゲンシュタインが、哲学をしばしば潜水にたとえた、という話が伝えられている。人間の体は、自然にしていると水面に浮かび上がる傾向がある。哲学的に思考するためには、その自然の傾向に逆らって、水中にもぐろうと努力しなければならない、といった話だった。この話を読んだとき、ぼくはこう思った。でも、ひょっとしたら、人間の中には、自然にしていると、どうしても水中に沈んでしまうような特異体質のやつがいるんじゃないか、そしてたとえばウィトゲンシュタインなんかがそうなんじゃないか、と。
(中略)
水中に沈みがちな人にとっての哲学とは、実は、水面にはいあがるための唯一の方法なのだ。ところが、水面から水中をのぞき見る人には、どうしてもそうは見えない。水中探索者には、何か人生に関する深い知恵があるように見えてしまうし、ときには逆に、そんな深いところに沈むことが、水面でのふつうの生活にとってどんな役に立つのか、なんて、水中にいる人が聞いたら笑いたくなるような(あるいは泣きたくなるような)問いが、まじめに発せられたりもする。この二種類の人間にとって、哲学の持つ意味はぜんぜんちがう。
(中略)
どんな入門書でも、口先ではみずから哲学することの重要性を説くけれど、そういいながら、実は哲学説の鑑賞の仕方を教えているにすぎないことが多い。哲学説(すでに哲学された他人の思想)をよく理解しよく味わって水面生活を豊かにすることと、自分で哲学する仕方を学ぶこととは、たぶん、なんの共通性もないのだ。思想を享受することと思考を持続することとは、むしろ真っ向から対立する。ひとが哲学を必要とするふたつの道筋は、驚くべきことだが、おそらくはまったく交差していないのだ。
<子ども>のための哲学 永井均著、講談社現代新書 P194より引用
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この文章、私は大好きで、これを読むと泣きたくなる。私は、水中に沈んでしまうタイプの人間だから。
ところで、この文の二種類の人間、というのは「哲学」を「音楽」に置き換えても成り立つように思う(自然にしていると浮かぶのか、沈むのか、というところは議論の余地があるにせよ)。音楽説をよく理解しよく味わって水面生活を豊かにすることと、自分で音楽をすることとは別なのだ。そして、自分で音楽をしている人の中にも、他人が音楽した結果を模倣することで上達を目指す人が、実は大勢いるように思う。
これはどちらがよいとか悪いとか、優れているとか劣っているとかいうことではない。しかし、私自身としては、自ら悩み試行錯誤し、それを楽しむ人間でありたい。そういう過程を経て、結果として生み出された音楽をこそ、私は慈しみ愛することができるように思う。
もし、この文章を読んで、あぁ、私は水面に浮かび、答えを求める側の人間だな、と思った方がいたら、こと音楽に関しては、ぜひ水中でもがき、ようやく息継ぎをすることの苦しさと喜びを一度味わってほしい。私の尊敬する松下先生、猪居先生は、この試行錯誤を否定せず、むしろ一緒になって迷ってくれる方だと思う。だから、好きだし、これからも色々な曲を学んでいきたいと思う。
とまぁ、長く書いてみました。結局言いたかったことは、せっかく自分で音楽をしようとするのならば、もがき苦しんでみてもよいのでは、というマゾの勧めです。そして、そんなアプローチを、無駄だとか馬鹿げてるだとか言わずに付き合ってくれる先生が身近にいると仕合せですね、というある種のノロケでした。笑 と、笑って書きましたが、そういう寄り添い方をしてくれる先生は、本当に貴重なんじゃないかなぁ。
筆者注:人生に対して水中に沈むスタンスは、本気で息苦しくなるのでお勧めしません・・
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