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音楽は始まるのか、始めるのか

少し前ですが、2016年に池田慎司先生の公開レッスンを受講したことがあります。そのときに、別の方のレッスンで非常に印象に残る内容がありました。

その方の受講曲はF.ソルの「マルボローの主題による変奏曲」でした。最初のフレーズが5弦単音の優しいフレーズで始まり、出だしから歌心が要求される曲です。受講者の方は課題意識として、「練習すればするほど、最初の入りが怖くなる。弾けば弾くほど緊張する。」ということを挙げてらっしゃいました。

それに対する池田先生のアドバイス。「どこか遠くからテーマが聞こえてるようなイメージで。大きな時間の流れにのっていく。自分が音楽を始めるのではなく、どこかで始まった音楽に自分が乗っかっていく。」というものでした。

この「音楽が自然と始まる」と言う考え方が当時非常に腑に落ち、気に入りました。それをとにかく実践したくなり、普段の猪居ギター教室でのレッスンで、ソルのエチュード1番を「音楽が自然と始まるように」演奏してみました。すると、師匠の評価は「曲の最初に気持ちが入っていない。なんとなく始めていませんか?ちゃんと最初から気持ちをいれるように」とのことでした。

この時はいろんな気持ちが入り混じった、複雑な心境になりました。何かと言うと、「おお、この人ほんとに耳いいなぁ、聞いてくれているなぁ」という改めての驚きと、「音楽を始めるのではなく、音楽が始まるんだ」という表現はきちんとできていたんだな、と言う自信。そして、「音楽は始まるのか、始めるのか」、それは曲によって適切に使い分ける必要があるんだな、と言う言われてみれば当たり前の気づきです。

マルボローは、そういう観点でいけばまさに、テーマが自然と鳴り響いてくる、遠くから聞こえてくる、の筆頭のような曲ですね。タンゴアンスカイの最初とかも、おしゃれにそーっと、気づいたら始まっていてもいいかもしれない。大聖堂の最初も、際どいところかもしれませんが、空から音が降ってきた、みたいな感じで、大きな流れの中で始まるのもいいかもしれません。ソルのエチュード一番は、どうなんだろう。どっちもありだと言う気もします。もしかしたら、ステージの広さや客席の空気感、聞く人の集中力、その曲の演奏順など様々な要因によっても、どちらが適切かは変わるかもしれませんね。

以前喫茶店で演奏の機会があったときに、ディアンスの「サウダージ第三番」を一曲目に選びました。最初から派手に和音をかき鳴らす曲で、これなんかも「自分で音楽を始める」類のものかと思います。で、照明をしてくれるという店長さんには「音がじゃっと入ったらライトを付けてください」とお願いしておいたんですね。で、曲冒頭の和音からどーんと入ったのですが、、この曲、聞いていただくとわかると思いますが1番「儀式」は確かによくわからない曲。店長さんには曲が始まったことが伝わらず、、準備運動の延長と思われたみたいで、、結局電気がついたのは2番「踊り」が始まってから、という残念なこともありました。。まあこれは、事前の打ち合わせ不足なんですけど、広義の意味では曲の始め方の課題かもしれませんね。

その曲を自ら始めるのか。大きな時間の流れの中、音楽が自然と始まるのか。取り組んでいる曲、大好きな曲を前に、みなさんぜひ改めて考えてみてくださいね。

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