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英語を喋られないなりに意思疎通する秘訣と、それでも勉強を勧める理由

昨日からアメリカに出張に来ています。おかげさまで初日の山を無事乗り越えたので、気分転換にブログを書こうと思います。

外国に来ると必ず遭遇するのが、言葉の壁ですね。私は英語は得意ではありません。が、必要最低限な意思疎通はできます。その秘訣(と言うほどでもない)を少しばかり共有したいと思います。

①わかったふりをしない
1番肝心なことは、わかるまで聞く、わかってもらうまで話し続けることです。わかったふりをしない、適当に笑って相槌を打たない。例えその場でバカにされても、長い目で見ると「わからないことをわからない」と言える人間の方が信頼されます。いや、実際のところ私が信頼されているかなんてわかりませんが、私ならわからないことにうなずく人よりも、ずっと食い下がる人の方を信じます。
会議なら、その場でいきたい着地点を予め定めて準備しておき、みんなにイエスと言わせるまで粘る。そうすれば、途中何を言ってるかわからなくても、とりあえず乗り切れます。これオススメ。こういう話は、語学やプレゼンテーションと言うよりはファシリテーションの技術に近いかもしれませんが、意外とそこにに強みを見出す人は少ないようにも思います。労少なく実入りの多いスキルなので、是非調べてみてください。

②日本語だって、100%は聞き取れないでしょ?
日本人どうしで会話しているときって、ついついお互いにすべてを聞き取れているような気になってしまいます。でも、これは錯覚。聞き取れない単語やフレーズは非常に多いです。今日にでも試してみてください。自分が本当に全て聞き取っているかを。

たぶんね、すべてを聞いてはないんですよ。でも、意味は理解できるんです。表情とか流れとか、その場のシチュエーションで。頭の中で結構な割合で補完してるんですよ。そして、すべての単語を聞き取った気になっている。あるいは、聞き取れなかったときはどうしているか確認してみてください。きっと、ごく普通に「なんて?」と聞いてるはずです。英語も同じ。文脈やシチュエーションから内容を予測し、聞き取れなかったところは質問して言い直してもらう。そうすれば、きっとわかります。こちらとコミュニケーションを取る意志のある方なら、言い回しを変えたり、ゆっくりになったり、なにかアプローチしてくれます。

※そう言う意味では、仕事もプライベートの友人も、コミュニケーションを図ってくれる時点で楽ですよね。店員とレジで会話するのが1番緊張する、、笑 わからなくても向こうは気にしなくて、こっちが困るだけですから。

③最悪、翻訳サイトを使おうよ、、
それにほら、最近は翻訳サイトも精度が上がって来ていますし。最悪それに頼りましょうよ。そろばんから電卓にとって変わったように、地図を読む必要がなくなり、ナビが普及したように。それは別に恥ずべきことではなく、胸を張って使えばいいんです。いまはまだ「なんとか使えなくはない」レベルですが、近いうちに職業通訳を駆逐するような進化が訪れるはずです。

④それでも私は、子供に外国語を学ぶことを勧める
使えない英語でもそれを如何に使うかが大切、と言うことに関して述べてきたここに至って、それでも外国語を学ぶことは大切だ、ということを最後に力説したいと思います。

異なる言語を学ぶことは、異なる文化に触れることは、全く新しい視点を獲得するための素晴らしい方法です。「世界を広げる」ためには、異なる言語を学ぶことはとても大切なんです。

例えば、「雪」を知らない世界の人に「雪」の概念を伝え、さらにボタン雪と粉雪の違いにまで思いを広げていく。そのときに、きっと「イスタンブールの雪」は、新たな表現を獲得するでしょう。散りゆく桜に対する諸行無常の感覚は、「さくらによる主題と変奏」に対するアプローチを変えるはずだと信じています。そこにはきっと、一対一の翻訳機には表現できない何かがあるように思うのです。いや、むしろそれは自らある種の経験とともに実感しないと、獲得できないに違いありません。

あと少し次元の違う話ですが、例えば過去に受けた福田先生の公開レッスンでのこと。「ビブラートにはかけ始める方向がある」ということを初めて知りました。こんなこと、自分の世界に閉じこもっていたら、千年くらいかからないと気づかない内容でした。でも、別の視点を与えてもらうことで、その可能性に気づき、世界を広げることができる。これも、ビブラートと言う言葉の持つ意味や機能をどれだけ深く理解するか、と言う点に帰結することができます。まぁ、この場合は日本語で教えてもらいましたけどね。。言葉という汎用性の塊に隠れた何者かを自分なりに咀嚼し、その本質を引っ張り出す。その意味で、我々は常に新しく言語を学び続けなければならない。その謙虚な姿勢を養う第一歩として、外国語を学ぶことは非常に重要なのだと思います。本来教養とは、習得できる結果だけではなく、習得する姿勢自体に意味のあるものなのかもしれません。

そう言えば以前に書いた「れる、られる」に関する記事も、似た観点の話でした。これも、母国語と他言語の絡み合いから生じた気づきだったと思います。

私は自分の娘に、外国語を勉強することの大切さを力説するつもりです。それと同時に、言語を介さない伝達手段、音楽の素晴らしさに関しても。

今のところ聞く耳持たない彼女らに、まずは「父親には丁寧語を使おうね」からスタートですが。。笑
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