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「逃げ続けてきました。」絵本作家ヨシタケシンスケと糸井重里の対談紹介

本日は、私の好きな絵本作家ヨシタケシンスケとコピーライター糸井重里の対談を引用し、仕事とは、生きるとは、と言うことについて少し語りたいと思います。標題「逃げ続けてきました。」は、対談のタイトルです。

ヨシタケさんは、「りんごかもしれない」で有名ですね。私も例にもれず、りんごかもしれない、でヨシタケさんのことを知りました。その後、「このあと どうしちゃおう」を読んで、こんなテーマを、こんな形で『絵本』に持ち込むヨシタケシンスケという人物に興味が出てき、本対談のことを知った、という経緯があります。両方の本に関しても、対談の中に出てきますよ。

お盆休みに入って、古い友人と飲み語らう機会が多くありました。いわゆるアラフォーで、昔話やバカ話の中に、異動だ転職だ、昇格だ転勤だ、といった仕事の話がちょくちょく顔を出すんです。で、仕事の話になると、グチもあるけど夢もないわけじゃない、今後のキャリアパスをどう構築するのか、なんて話にもなるわけですね。

で、思いもしたのがこの対談の話。ヨシタケシンスケさんは、「いろんなものから逃げてきました」と言うわけなんですよ。そんなヨシタケさんが唯一逃げなかったこと。それが、「逃げること」自体。逃げることからだけは逃げることなく逃げ続けたと。

この部分を引用します。できれば後ほど、ぜひ全文を読んでください。少し長いですがたぶん一気に読めます。

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ヨシタケ
ずっと「どうすれば怒られないか」ばかりをものすごく考えてきたんです。
「この言い方だと怒られるけど、こういう言い方ならそもそも怒られる筋合いがなくなるんじゃないか」
とか、そういうことばかり考えてて。
糸井
それは「逃げ」ですね。


ヨシタケ
そうなんです。そしていまに至るまで、ぼくはずっと全速力で逃げつづけてきてるわけなんですけど。
糸井
「そこまで一所懸命逃げる人は立派だ」みたいになっちゃいますね。
ヨシタケ
ええ。あるとき気づいたんです。
「逃げるのは簡単だけど、逃げ続けるのって大変なんだな」って。
だから、ふつうはみんなどこかで「そろそろ疲れたし」とかって逃げるのをやめると思うんですけど、ぼくはずっと逃げ続けちゃったんです。


糸井
でも、だからこそこういう絵本もできたわけで。
ヨシタケ
そうですね。
ここまで行ったら最後まで逃げて、『とうとう時効になったね』みたいなところにたどりつくのを、ひとつの目標にしているんですけど。
糸井
絵本を読んでいると、ヨシタケさんの逃げ方って直線じゃないですよね。
急に90度曲がったり、「あれ?」と思ったら後ろにまわっていたり。
ヨシタケ
そのとおりです。
なので「結局それ、捕まってない?」とか言われたりもするんですけど、「いやいや、ここの部分はまだ捕まってないから」みたいな。
糸井
負け惜しみも使いつつ。
ヨシタケ
はい。ぼくの絵本はへりくつであり、負け惜しみや言い逃れの集大成でもあるんです。
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ほぼ日刊イトイ新聞「逃げ続けてきました。」より引用。

ヨシタケさんは、逃げた。逃げ続けた。徹底して逃げた。そして自分にできないものから逃げる中で、自分にできることは何なのか、それを手触り感のあるものとして捉えることができたのだと思います。そう言う方の自分語りは示唆にとんでいて、本当に面白い。

私は、逆で生きてきたんですよね。どちらかと言うと器用に物事をこなす人間で、受験や試験、就活なんてものを卒なくやり過ごせてしまった。これは、捉えようによっては自慢のように聞こえてしまうかもしれませんが、断じてそうではありません。私はね、逃げなかったんですよ。逃げない代わりに、選ばなかった。数ある選択肢の中から、信念や確信を持って自分の未来を掴みとろうとしたことがなかった。最高ではなくとも最適に浸かって、それでいいんだと自分を納得させていたんでしょう。会社に入ってからも、言われた部署で頑張りますよ、文句言わない歯車も必要でしょう、と言うくらいのスタンスでやってきた。いや、個々の業務やタスクに関してはむしろ文句意見する方です。けれど、所属や業務そのものに関しては、「この部署がいい」「この仕事とは嫌だ」なんてことは言わなかったように思います。たぶん。、(会社関係の人が見ませんように)


そんな私からすれば、ヨシタケさんの自虐に満ちた吐露、逃げ続けた歴史は、逃げると言う選択をし続け、自ら掴み取った人生として胸をはれるものに感じられます。私はもうすぐ40歳と言うこんなおっさんになって、ようやく自分の人生を流されるのではなく自分で決めてやろう、と考えています。と言って、別に今すぐ転職するだとか、脱サラしてギターで生きていこうなんて考えている訳ではありません。ただし、こう言ったキャリアパスを歩むのだ、そこに自らの意志を持つこと。それを今更実践しています。その中で、ギターとの向き合い方も改めて考えていこうと思います。

今さらギターを止めるつもりはさらさらありません。キャリアパスを積極的に構築する。そこでどうやってギターと仕事、家庭を両立するのか。そのときこそ、「趣味で続けるクラシックギター」と言うこのブログの真意が、真価が問われるときかもしれませんね。




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