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中部日本アマチュアギターコンクールに見る審査員の本気と、アロウの不可能性定理

2019/8/18に行われた第11回中部日本アマチュアギターコンクールに関して、審査結果の内訳が公表されています。この率直かつ端的な発信に、審査員の先生方の本気や覚悟を伺うことができ、感銘を受けました。

国際コンクールなんかでは、現代ギターなどの専門誌のレポートで詳細な点数や順位付けを見ることがあります。しかし、アマチュアコンクールで、審査員の氏名付きで、しかもウェブ上に公表する。この潔さに、感じ入るところがあります。

「深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いているのだ」
こんな言葉をニーチェは遺しています。文脈や本来の意図するところはさておいて、この言葉を思い出しました。審査する側もその審査を持って評価される、と言う事実に対するきっぱりとした意思表示に、審査員および運営関係者へ尊敬の念を禁じ得ません。
昨年度は一口講評が記載されていた
上記コンクールサイトをご確認いただければわかるように、2018年度の結果には、入賞者への簡単な講評が記されていました。それ自体も、非常によい試みだなぁ、と思っていました。コンクールは1つの結果であると同時に、大切な成長への過程である。そう捉えたときに、良かった点、改善すべき点をフィードバックしてもらえると言うのは、たいへん得難い経験となります。先生と教え子、先輩と後輩・・なかなか愛あるダメ出しは難しかったりしますからね。

そのため、今年も観覧に行けてないくせに楽しみに講評の更新を待っていたところ、公表されたのは講評ではな審査結果の詳細でしたく(別に冗談が言いたいわけではない)。個人的には、おととしまで何もなかったところに、去年講評を追加し、さらに今年詳細結果に変えた、というところに注目しています。何事も、一度始めたことを変更/中止するには労力がかかるものです。ある意味始めるよりも、始めたことを変える方が難しい、というのは、社会人の方は思わずうなずいてしまうのではないでしょうか。今回のこの変更も、関係者の話し合いの結果だと思って間違いないでしょう(とまぁ、3年前以前は全体講評が書かれていたりもするので、本当のところどうかは知りませんけど。汗)。限られた文字数の言葉よりも、各審査員の順位付けが何よりのメッセージになる。その思いを、自分勝手に汲み取りたいなと思います。


真に完璧な多数決は存在するか?
さて、私は観戦できておらず個々人への評価はもちろんできないため、本審査内容と、その結果としての順位付けに関して思うところを述べたいと思います。

一般の部では、各審査員の1位最多獲得者 近藤勲さんがそのまま全体1位となっており、ここだけみると順当です。しかし、その他3部門では、各審査員の1位の最多獲得者ではなく、総得点の高かった方が1位となる入れ替わりが発生しています。具体的に例を挙げると、シニアの部。2名の審査員から1位評価をされた鈴木力さんは2位。対して1位の松山繁さんは、1位評価は1名からに留まったものの、2位3位の獲得ポイントに後押しされ全体1位となられました。ジュニアの部でも同様の現象が起こっており、悲喜こもごもといったところでしょうか。


実は、こう行った現象は、コンクールに限った話ではなく国政選挙でもしばしば発生します。例えば、2000年アメリカ大統領選挙では、一般投票の得票率で上回ったゴア候補が、獲得選挙人数で上回ったブッシュ候補に敗北。2002年フランス大統領選挙でも、本命とみられていたジョスパン氏が左派分裂のあおりをうけ決戦投票に進むことができずに敗退、などと言った例があります(リンク先はいずれもWikipedia)。これらは民主主義や投票制度の根幹を揺るがしかねない内容であり、学問としても研究の対象となっています。この結論を、誤解を恐れず一言で言いきるならこうなります。「真に完璧な多数決は存在しない」と。


アロウの不可能性定理
こういった内容を数学経済学として証明したのが「ケネス・アロウ。アロウの不可能性定理として知られています。いや、私も言葉くらいしかわからないのですけれども。数学的文言を除外しイメージで語ると、「単記投票方式」「上位二者決選投票方式」「順位評点方式」「勝ち抜き決戦投票方式」「総当たり投票方式」などどのような投票方式とるかによって、異なるタイプの候補者が選ばれる可能性が存在する。そのようなモデルを仮定することができる、ということです。
※文言そのものの引用ではありませんが、「理性の限界(高橋昌一郎、講談社現代新書)」を参考にさせていただきました。

私は別に民主主義が不完全だとかコンクールが不公平だとか言いたいわけでは、断じてありません。また、どの方式を採用すべきだ、と主張したいわけでもありません。でも、でもね。本当の本当のことをいうと、正直少しもやもやするんですよ、最終結果だけで選考基準や投票方式がわからないと。

自慢じゃないけど、4回連続入賞しました(自慢)
プロフィールにも書いているのですが、わたくし、2016~2019年に4年連続でギター音楽大賞に挑戦し、すべて奨励賞をいただくことができました。ざっくりいうと、金銀銅に続く4位ですね。毎年違う曲を準備し、そのすべてで一定の評価を得らえた。このことは非常に嬉しく、そして誇らしい。けれど、その全部が金~銅賞には届かなかった事実。それはやはりとても悔しくて、その理由を、足りないピースを追い続けているんです(あら詩的)。

この、奨励賞。みんなが満遍なく4位をつけたのか。一人二人が1位、2位と高評価をつけてくださったけれど、他の方からの評価は低かったのか。それって、自分の立ち位置とか、伸ばすべきところ/補うなければならない箇所の判断にも関係する話なんですよね。もっと極端にいえば、大勢の方からの万遍ない高評価を求めてコンクールに出続けるのか、それともある特定の人に刺さる演奏ができていることに満足してコンクールから卒業するか、それにすら関わる大きな問題です、私にとっては。その点で、本コンクールの試みは、勇気ある素晴らしい一歩だと感じています。

話は中部日本ギターコンクールに戻って・・
今回のコンクールに参加された皆様、お疲れ様でした。入賞された方、入賞を逃された方、それぞれに思うところがあると思います。その思いをこれからの成長につなげるために、今回挑戦されたコンクールはとても素晴らしいものだったのではないでしょうか。得票があった方も惜しくもなかった人も。審査結果に納得した人も悔しい思いをされた方も。その事実を開示してくれたコンクール陣営を信じ、また明日から一緒に練習を頑張りましょう。

最後に、中部日本ギターコンクールの審査員および運営の方々、お疲れ様でした、ありがとうございました。来年度以降の結果発表のあり方を、今から個人的に楽しみにさせていただきます。他のコンクール関係の方々へ。審査には当然万全を期してらっしゃることと存じます。その際に、公平性だけでなく透明性も担保いただけることが、結果としてそのコンクールの繁栄につながるのではないか、と勝手ながら提起させていただきたいと思います。

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関連タグ:コンクールの傾向と対策




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