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「多様な価値観を認めよ」と言う価値観

本日、お世話になっている会社の先輩と久しぶりに飲みに行ってきました。気のおけない人、尊敬する人と奇譚なく語る機会は楽しいものです。仕事の話、家庭の話、プライベートの話と多岐に渡って語ることができ、面白くまた勉強にもなりました。

まぁ、そんな風に楽しい話ができるということは、おそらく一定の割合で根底にある価値観が似通っているんだろうかな、と思います。少なくともお互いの価値観をそれぞれに認め合える程度には。

私は、できれば多様な価値観を認めたいと思っている人間です。そう言えば、学生時代にはよく「あしゃおは八方美人だ」「そんなだから彼女ができないんだ」とよく友人に罵られ(?)ました。別に八方美人でも彼女できる人はいるじゃん!俺に彼女ができないのは八方美人とは別の問題なんだよ!(言ってて寂しさしかないよね・・)


さて、じゃあ「多様な価値観を認めよ!」と声高々に主張すると言うことは果たして可能な事柄なのか。これは昔から私の中で1つの大きな課題で、今も解決していません。「断定ブログは信用するな」で語ったことと似ています。自分の主張したい事柄に関わる内容が、その文章の枠の中で自然と論じられてしまう。メタ的テーマの1つです。ポリコレと反ポリコレの争いも、私の中で大きくはこのテーマの中に属しています(このブログは政治的な発信や主張をする場所でないのはもちろん、そのような議論をすることも一切目的としないため、ここでは深入りしません)。

ただ、年を経てきて感じることは、「価値観の多様性を認めよ」と言うテーゼの正しさを主張することはできなくとも、「私は価値観の多様性を信じている」と宣言することは自由なのかな、と言うこと。そして、「価値観の多様性を認めて欲しい」と願うことも同じく自由であってほしいな、と言う祈りです。


人生観や仕事論、ワークライフバランスなんて言うのは個々人の価値観が顕現する最たるものです。そして、音楽を始めとする芸術もそうでしょう。自分の好きな演奏は人にも認められて欲しい。私の突き詰めた演奏は、よかったよと評価してもらいたい。それを人に強制することはもちろんできなくとも、その見方が存在することだけは否定せずにいたい。そしてそれをお互いに認め合うような、弱さとも言える優しい連帯があれば、世界は少ししあわせになるのかなぁ、なんて甘いことを祈っています。

こんな事を語っているブログの筆者が、毎年コリもせずコンクールに参加している。そんな矛盾した笑い話も、多様な価値観の1つだと言うことで暖かく見守り応援していただければ幸いです。

PS:
ちなみに今日飲んだ先輩によると、このブログのペルソナは狭すぎて、もっとマネタイズ、と言うかブログからその次のステップを考えるべし、とのことでした(+_+)

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