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期待通り期待を裏切ることの素晴らしさと難しさ 20年ぶりにJUDY AND MARYを振り返る

この記事では、今から20年ほど前に若者に絶大な人気を誇り、2001年に惜しまれながら解散したJUDY AND MARYに関して今さら言及して見る内容です。ま、20年前の若者ってのがまさに私世代のことですわな。。w。 話の最後は、ちゃんとクラシックギターの練習方法にたどり着きますよ。少し長いですが、ご拝読宜しくお願いします。



夏季休暇の帰省ドライブで、久しぶりにJUDY AND MARYのCDを聞いてみた
いや、特に意味はないんです。車のダッシュボードに入っていたんですよ。珍しく後部座席の子供も寝ていましたし。で、たまには聞くか~なんてね。懐かしいなぁなんて妻と言いながらね。そしたら、めちゃくちゃいいんですよ。困ったくらいに、いい。懐かしさ補正もあるでしょう、曲を聴いて思い出す青酸っぱい思い出もありますよ。でも、それとはまた違ったベクトルで、明らかによい。


改めて聞くと、曲の随所に盛り込まれた「意外性」に耳を凝らす
曲を聴いていると、あちらこちらに「意外性」を転がしている感じがするんです。「J-POP」なんて小さい枠にはまってたまるか、「普通」のポップスなんてやってやらねー、ってあっかんべーしているような。それは曲の始まり方や構成、繰り返しでの変化や和音の使い方、色々なところで。でも、かといって、奇抜さの方向に突き抜けてはしまわない。ぎりぎりのところで、ポップスシーンから見捨てられないところにいる。そんな絶妙なバランスの上に成り立つスリリングな何かがあったんです。あの頃の私は、そんな聞き方はしていませんでした。20年振りの、新鮮な驚きでした。

結成から解散までの流れもストーリーに富んでいる
VocalのYUKIとGutiarのTAKUYAがデビュー当時まだ約20歳。リーダーでベースの恩ちゃんとドラムの五十嵐さんは約30歳。リーダの恩ちゃんが、ソロプロジェクト扱いで始めたバンドに本気になりメジャーデビュー。年齢が10歳近くも下の有望な若者と船出をするものの、その二人の才能と個性が成長しすぎ、自分の思い描く音楽ができなくなっていく。かといってメンバーの増減や変更が受け入れられることもなく、1年間の活動休止の経て活動を再開するもほどなく解散に至る。当時の私は残念だなぁ、もったいないなぁ、好きだったのに、くらいにしか思っていませんでしたが、今になって結成秘話や解散に至る理由を読むに至り、その内容にいろいろ感じるものがあります。


この記事を書くにあたり気づきましたが、解散当時の恩ちゃん、五十嵐さんはちょうど今の私と同じくらいの年だったんですね。彼らの苦悩や決断を少しだけ、ほんの少しだけ、身近に感じます。命の数だけ人生模様があるように、全ての音楽家やバンドにドラマがあるのは当然といえば当然です。でも、なんか曲のもつ力がバンドの歴史まで代弁しているように思えてきました。



そう考えると、曲の販売順までも計算されていたように感じられる
デビュー当時のPOWER OF LOVE や BLUE TEARSは、あくまで「普通」のポップスをやっている有望な若手バンドなんですよね。それがどんどん自我を獲得し、曲の中に主張が出てくる。一度それを始めてしまうとと、もう止まらないんでしょうね。あちこちで遊びだす、試しだす。そしてファンもそれを期待しだす。どうか次の曲でもなんかやってくれよな、予想を裏切ってくれよな、と。そして、そのみんなの期待通り、期待を裏切ってきたんですね、このバンドは。「ミュージックファイター」が1998年にリリースされたとき、高校生の私は「なんじゃこれ」って思ったんだよね。なんでこんなわけわからん曲出したんだよって。それが今聞くと、あぁ~見透かされてたんだなぁって。

特に1995年「Over Drive」~1998年「手紙を書くよ」までのシングルリリースの流れを見返すと、完璧というかなんと言うか。タイトルから曲を思い出せる方はぜひ今一度見返して、一緒にこの感動に浸ってください。ずぼらな私はWikipediaのスクショを貼っちゃいますので。そしてここで忘れてはならないのは、プロデューサーの存在。それが誰かって、かの佐久間正英さんなんですよ。シングルリリース曲の主担当が恩田さんからTAKUYAに代わっていく中でのバンドの葛藤。曲作りが、バンドの方向性が変っていく雰囲気。その何かが崩れていこうとする空気と、それを何とかまとめて維持しようとする復元力とが、本当にすんでのところで実を結んでいる。きっとそこには、個々の曲だけでなく、それを線として見据える視点があったんだろうな、と今さら思いをはせています。



予定調和が生み出す心地よさと、期待を裏切られる喜び
音楽の生み出す喜びの本質というのは、きっと昔も今もそんなに変わっていないと思うんですよ、クラシックだろうがポップスだろうが。「ここに落ち着くんだろうな~」というところに予定通りにたどり着く心地よさと、でもそれを裏切って「えぇ、そこに向かうの!?」という意外さと。前者の予定調和だけだと物足りなくて、後者の意外性だけだとしんどい。枠にハマる礼儀正しさを見せつつ、時に期待通り期待を裏切る。このバランスが、曲や演奏の評価に繋がっていくのではないなと思います。JUDY AND MARYと言うバンドは、その境界線を見事に体現し、ギリギリ過ぎたが故に短命に終わってしまったのかもしれません。

ギターの練習に「決まった動作」を間違えないように反復することはとても重要。それはミクロな目線で見た場合の個々の動作も、マクロな視点で俯瞰した曲全体の構成に対しても。でもそのうえで、「想定から外れる」ことを想定した練習もきっと同じくらい大切なんだと思います。この一見矛盾していることを実現する方法、これを自分の言葉で理解し、準備える。これはおそらく、あなたの一度きりの舞台演奏をさらに魅力的なものにしてくれるはずです。

後書き
書いたあとで、熱狂的ファンのいるバンドに関して語ることに少し怖さを感じていたり。まぁ、でも愛なので大目に見てもらいたいな(哀願)。

JUDY AND MARYで好きな曲はたくさんありますが、1番好きなのはラッキプールです。曲が好き、歌詞も好き、バンドの集大成としての位置づけも好き、さらに20年前の甘酸っぱい思い出付。こりゃあもう叶わないね笑

関連タグ: 音楽論
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