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影響を受けた作家および著作 5選

ブログと言う言葉を使う表現をしていると、いろいろなところに癖というか、自分っぽい文章の匂いがするなぁ、と思います。この「自分らしさ」をどう捉えるか。少なくとも私は、「自分の文章に自分がファンになる」と言う第一歩はクリアできています。それはたぶん、これまで読んできた本の積み重ねがあるからでしょう。というわけで、私が文章構成や表現に影響を受けた、と考える作家とその著作を紹介させていただきます。こういうバックグラウンドがあるおかげで、自分の文を恥ずかしいと思わずに公開できているのかもしれません。

日本語の技術に関する最初の3冊は、今さら私が言うまでもない名著です。だからこそ、もしも初めて聞く方がいらっしゃいましたら是非ご確認いただき、もし時間が許すようであればご一読されることをお勧めします。


理科系の作文技術: 木下是雄
大学の研究室時代に、恩師が「これは読んどけ」と貸してくれた本が2冊ある。1冊がこの「理科系の作文技術」、もう1冊が後述する「日本語の作文技術」である。結局言葉を書くのはなんのためか?という原点に立ち返ると、それは誰に何かを伝えるためである、と言える。そしてそれは多くの場合、「正確」に伝わることが大前提だ。

本書では、「誰に」「何を」伝えるのかを明確にすることの大切さ、そしてそのための作法を教えてくれる。系統だった報告のためには必読かも知れない。タイトルの頭に「理科系の」とついているのは、論文やレポートなどが想定されているからである。そのため、内容には事実と意見をわける重要性や論文の引用方法なども含まれる。しかし、この本の本質はそこではない。「その文を読んだ人が何を知りたいか」にフォーカスしなさい、と言う当たり前の事が大切なのだ。


日本語の作文技術: 本多勝一
新聞記者である本多勝一が「分かりやすいための表現」「誤解を生じないための文章」の技術を説いた本。この本を読む前と後では、文章の読みやすさが全く異なる。例えば長い修飾語を前に配置することで文章は一意に捉えられるようになる。そうすると句点の数は少なくとも誤解が生じる余地がなくなる。と言った、具体的技術として習得することが可能な内容が記されている。

理科系の作文技術の意図が「読み手を特定せよ」だとすると、こちらは新聞記者の著作らしく「誰が読んでもわかるように書け」「読み手に誤解の余地を与えるな」となるだろうか。この本を読んだ後だと修飾の順序の考えられていない文章や無駄な読点の多い構成を見ると逆に違和感を感じてしまう。例えばこのパラグラフでは意図的に極力読点を除いているものの、修飾の順序を推敲しているのでしっかりと意味が通じるのではないだろうか。
他には、並列を読点ではなくなかてん(・)を使うことなど、意識すればなんてことはないけれど意識しないとわからないような内容も含む。並列の読点に1度違和感を覚えると、違和感、リズムのなさ、読みにくさに気がつくはずだ。ここは「違和感・リズムのなさ・読みにくさに」とした方が、並列であることが明確であるのみならず、読点で立ち止まらなくてすみ流れをもって読むことが出来る。



日本語練習帳: 大野晋
「思う」と「考える」の違いとは何か?非常によく似た2つの言葉でも、置換できるときと出来ないときがある。「違いを考える」とは言えるが「違いを思う」とは表現できない。なぜならば、、と言うように、言葉に対する感度を上げることの重要性に触れられる1冊。また、日本語文法を英文法の焼き替えではなく日本語から考えることは、何気なく日本語を使用できてしまう日本人にこそ重要な内容となっている。特に「は」と「が」の違いは、日本語の作文技術と日本語練習帳を合わせて読むと、自分なりの理解が深まる。

単なる一日本人とはいえ、単なる一日本人だからこそ外国人と出会う際には自分が日本人代表となる可能性を秘める。そのようなときに、日本語に関して、日本文法に関して語る術を持たなかったとしたらそれはお互いにとって不幸となる。これからは翻訳技術がますます発展し、外国語の学習に対するモチベーションが下がることも考えられる。だからこそ、母国語を知ることの重要性はますます高まるのではないか。

「れる、られる」に見る日本人の感性


土屋賢二
笑いの秘訣は期待を裏切ることである。予測と違うところに話が向かうと面白い。高校時代に一緒になって土屋氏の著作を読んでいた友人のサイト「アイデアホイホイ」も、たぶん同氏の影響を受けていると思う。間違いなく、影響を受けているかいないかのとちらかだ。少なくとも誰も影響を受けていないとは言い切れないのではないか。もし言い切れる人がいるとしたら、それは私の妻くらいだ。妻は彼のブログを読んでいない。けれど、彼女なら読まなくてもそれくらいはわかるはずだ。わからなくても断定してくれるに違いない。みたいなやつ。たぶん処女作の「われ笑う、ゆえにわれあり」1冊読んだら好き嫌いがわかると思うが、どうしてもと言うなら2冊買ってもよい。いや、1人3冊くらい買ったら良さがわかるのではないか。少なくとも著者は嬉しい。こんな感じのヘリクツの宝庫。それを心地よいと思うかどうかですけれども、こう言ったウィット?を文章のリズム作りやスパイスとして使えるとよいと思っております。


伊坂幸太郎
上質な叙述トリックや連作の収束、スターシステムによる配役の交差。伊坂幸太郎の魅力はその非凡な構成能力にあることは間違いない。しかし、私が彼に惹かれた根本の理由は、言葉遊びや文章そのもののセンスにあるように思う。比喩や暗喩の使い、。登場人物どうしの会話のテンポ。そう言った部分に心地よさを感じない限り、表面上の技術に目を奪われることはあってもこんなにハマることはなかっただろう。オーデュボンの祈り・ラッシュライフやアヒルと鴨のコインロッカーで十分に魅かれていたものの、決定的になったのは重力ピエロ。伊坂幸太郎は自分の作品を「寓意のない寓話」と評している。寓話から寓意を除くとそこには残るのは形式だけだ。それでも作品が作品として成り立ってしまうだけの技量が彼にはある。さらに私は、私は彼が「意図しない」と言い放つところの「寓意」も好きであるのだ。こんなのもう、ついていくしかないじゃないか。

好きな作品は上げだすと切りがないですが、あえて挙げるならばやっぱり重力ピエロでしょうか。と言いながら、ここでは最近私を捉えて離さない「終末のフール」の一節を紹介します。

「明日死ぬとしたら、生き方が変わるんですか?」
「あなたの今の生き方は、どれくらい生きるつもりの生き方なんですか?」
(伊坂幸太郎 「鋼鉄のウール」 終末のフールより)


永井均
私が断定口調を使う際には、その言い回しはほぼ永井調で間違いない。それ断言できるくらいに著作による影響を受けた。そもそも永井氏の著作は、一度読んだだけでは理解ができない。と言うか、何度も読んだ今ですら理解できていないくらいだ(おっと、これは土屋風)。必然的に、彼の著作は読み返すことになる。1度目はもちろんわからない。わかるように反芻する。でも分からなくていったん飛ばして先に行く。とりあえず読んだら最初に戻ってきて我慢してもう1度読む。そうやって繰り返し読んでいるうちに、ようやく自分に都合のいい解釈ができるようになってくる。そうなってくると、自分の解釈を武器に全体を料理したくなって、もう1度読む。そんなことをしていたら、文体が好きになるのは当然ではないか。いや、好きとか嫌いではない、もうその言葉遣いが自然と出てきてしまうのだ。

彼の著作も、上げだすときりがないものの、あえて挙げるならば「これがニーチェだ」を穴が開くほど味わって、自分の血肉としてほしい。あるいは、「私・今・そして神」も捨てがたい。いまタイトルを見ると、ここもちゃんと「読点」ではなくて「・」を使っていますね。「私、今、そして神」だと締まらない、というかいちいちリズムが落ちて読みづらい。


あとがき
好きな作家や本を上げだすと切がない。例えば、宮本輝や司馬遼太郎。漫画だと、めぞん一刻や藤田和日郎が好きだ。とは言え、自分の表現にまで影響を与えた人が多すぎると、もはやどこが自分らしさなのかわからなくなってしまう。言い回しがこの人っぽいなんて言うのは、片手で足るくらいを上げるくらいでちょうどいいのではないだろうか。

ここに挙げた作家、著作は本当に胸を張ってお勧めできるものばかり。広告臭くなるのが嫌なのですべてのリンクは乗せませんが、興味を持っていただいたならぜひ手に取ってみてください。先日知人と話していたときに、文章を書くのは楽しいよねと言う話題になり、そういえば私はなぜ文章を書くことに苦手意識を覚えないのだろう、とか考えてこの記事を書き始めてみました。冒頭にも書いた通り、自分の文章を自分で好きだ、と思えるのはありがたいことですね。

話は変わるけど、「理系」と「文系」っていう分類がいろんな諸悪の根源だとも思ったり。理系にこそ「物事を正確に伝える」言葉のスキルが必要だし、文系にこそ「系統だって組み立てる」論理力が必要。できないことを選択の理由にできてしまう文理選択は絶対によくない。もしこの文章を読んでくださる学生の方がいらしたら、進路は「不得意」による消去法ではなく、「好き」を活かす将来像から考えてみてください。

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