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私の日常は、人にとっての特別かもしれない

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最近はもっぱら在宅勤務を続けている。幸いなことにパソコンさえあれば自宅から業務を行える環境にあるので、必要にかられない限りは出社を避けるようにしている。

今日、必要があり会社に出社した。出社の際にあやうくノートパソコンを忘れそうになるほど、久しぶりである。パソコンの定位置はもはや会社でも鞄の中でもなく、仮置であったはずの自宅の一角になってしまったようだ。これまで当たり前だった行き帰りの電車の風景も今や懐かしく特別なものに感じられ、以前は寝るばかりだった帰り道に柄にもなく窓の外を眺めている。

向かいの座席に座ったスーツ姿の男性が、少し周りを伺ったあと、窓の外に携帯電話を構えランドマークを撮影した。彼の足元にはスーツケースが置かれている。避けられない用事があり出張にきたのだろうか。彼にとっては、この何気ない風景が特別なものだったようだ。

昨日、妻の元に遠い親族の訃報があった。しかし私は、この変わってしまった世界の中で、今日も変わらない1日を過ごしている。特別とはなにか。そんなことを考えながら、家に帰ればご飯を食べお風呂に入り、眠りにつくのだろう。

世界を一変させるような劇薬は存在しない。もしあったとしても、その服薬を続ければそれもいつかまた当たり前に飲み込まれてしまうだろう。それでもせめて、ふと気づいたときだけでも、この日常に感謝する気持ちを持てたなら、と願う。

「最後だとわかっていたなら」
作・ノーマ コーネット マレック
訳・佐川 睦

あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように
祈っただろう

あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて
抱きしめただろう
(サンクチュアリ出版のサイトより掲題詩の冒頭を抜粋)
https://www.sanctuarybooks.jp/smartphone/sp/saigodatopoem.php





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