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10年越しにカルカッシのエチュードNo.11の魅力に気づいた話

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カルカッシの25のエチュードは、とても優れている。適度に難しく、適度に簡単。行ってほしいところに行ってくれるけど、たまに裏切ってくれる。カルカッシの練習曲が弾けるようになったときには、他のたくさんの曲が弾けるように、読譜が早くなるようにできている。本当に素晴らしい。
そんな曲達を、今でもよく弾く。音が深くないときは2番で弦のキャッチを確認する。高音と低音のバランスが悪いと5番を弾く。低音が響かないときは6番を。右手指が回らないときは、7番をゆっくりから始めて少しずつテンポを上げる。

先日ギター教室に行ったとき、準備できてきる曲がなかったのでエチュード日にさせてもらい、色々弾いていたところ…

こんな曲ありましたっけ?


なんですか、この曲?となってしまったのがカルカッシの11番。いや、あるのは知っている。けど、弾いた記憶がないのだ。ペラとページをくってみる。うん、12番やってるな。13番も譜読みしてる、14番も弾いた。戻って11番、、やっぱり何これ?やってねーぞ。


初心者にお勧めの曲は、実は脱初心者・中級者にこそ繰り返しの練習が重要な曲だった

ギター初心者にお勧めの、譜読み・運指が難しくない曲の紹介です。初心者の方にお勧めできる「簡単な曲」であると同時に、最近難曲ばかり弾いていて伸び悩まれている中級の方にこそお勧めしたい曲となっています。




私の性格上この曲だけたまたま飛ばした、なんてありえない。かと言って、意図的に飛ばすにも私は性格が愚直すぎる。と言うことは、飛ばさざるをえない理由があったのだろう。そう、たぶん弾けなかったのだ。

ややこしいし、面倒くさいし、面白くない


多分、過去の私はこう感じて諦めたのではないだろうか。挫折したんだと思う。で、その事実を忘れることで心のバランスを保ったのではないか。

そんな事をぼんやり思いながら、悔しいのでやってみる。もちろん、難しい、ややこしい。けど、面白い!そして、一応弾けるじゃないか!凄いじゃん、俺。成長してんじゃん、少しずつ。

最近指の動きに衰えを感じるときも在るし、すぐ疲れたり、腕がはったりする。けど、この曲が何をして欲しいのかが朧気ながらにもわかるし、それに応えられそうな自分も感じられる。

面白くて、示唆に溢れていて、弾けて楽しい


この曲は「弾いて」楽しいかと言われると、正直よくわからない。人前で弾きたい、と言うたぐいのものでもないように思う。けれども、「弾けて」楽しい。この微妙な違いが、とてつもなく大きな違いなんだ。この曲が弾けるようになったことが、嬉しい。

今の私が思う、この曲の求めているであろう点、理解すべきだと思われる点をざっと挙げてみたい。

・上声部と下声部を聞き分ける、弾き分ける。
・それぞれのメロディは旋律的に聞かせる。そのため、和音的に響かないように音が重ならないよう処理する。
・4分音符を正しい音価4分伸ばして、正しいタイミングで切る。2分のように伸ばしてはいけないし、8分で切るのも短すぎる。
・頻発するド♯は和声的短音階
・出だしのシ♮は旋律的短音階
・A-B-A'の3部形式
・A'の変化点である最下段のミ♭はナポリの6度

いや、凄くいい練習曲やん!この曲が弾けるような、楽しめるような10年を過ごしてこれたことが、凄く誇らしくなった。

ナポリの6度がやっとわかった


いや、今までも存在は知ってました。それこそカルカッシのエチュードなら、No.7でもA'の3小節目にシ♭で出てきます。これも「はいナポリの6ですね~」と言われて、うーんそうなのか、わかんねっす。調べてもぴんとこない。なんか別の曲で出てくる。調べる、わからん。公開レッスンで違う人の説明聞く。言ってることはわかるけどわからん。

そんなことを10年以上繰り返してきて、今回初めて腑に落ちました。「あ、これナポリの6度だ。確かに6度だ。」って感じ。わかってしまうと、確かに短調(Dm)のサブドミナントマイナー(Gm)の5度の音(レ)を半音上げて6度のミ♭。うん、教科書通りでしかないですね。。(ここはナポリの6度の説明をする目的ではなく、私が腑に落ちた喜びを語っているだけの項ですのであしからず。。)

今までも、構成音をさらって「ナポリの6度だ」と確認することはできた。でもそれは、「構成音が教科書に語られていることと同じだ」と言う確認にすぎず、それにわざわざナポリの6と名付け、広く知られていると言う感覚が全くわからなかった。そこにある和音に実体を感じられなかった。それが今、急に目の前に現れてくれた。あ。これナポリの6だ。そうとしか言いようがない。

自分の演奏に自信を持つには?凡人のアマチュア演奏家が辿り着いた4つのポイント


どんなにゆっくりでも、学びは積み重ねられる


何が言いたいかって、こんな魅力的で示唆に富んだ曲を作れるカルカッシは、やはり凄いということ。そんな偉大な作曲家の一見難解な曲を楽しんで学ぶには、私には10年以上の歳月が必要だったということ。そして、10年地道に勉強を続ければ、私でもわかる時が来たということ。

もしこの内容が、私の10年をあなたの1日に縮められる気づきを秘めていたら、それはとても嬉しい。けれど、もしこの記事を見てなんのことだと思っても、悲観しないで欲しい。音楽に必要なのは、楽しむ態度、続ける姿勢、それだけだ。旋律的短音階がわからなかろうが、ナポリの6度を知らなかろうが、そんなことは問題ではない。私だって偉そうな顔をして、わからなくても演奏を続けてきた。

でも、もしこの投稿にあなたの知的好奇心をくすぐる何かがあれば、音楽って不思議だな、面白いな、と思ったなら、今日理解できないことがあっても、ぜひその気持ちを大切にし続けてほしい。学び続ければそれはどんなにゆっくりでも、積み重なっていく。そしていつかきっと、天啓が降りてくる。


私には10年かかったけれど、思いがけずこの時が来た。この喜びは、ゆっくりでも歩みを止めなかった者の特権ですらあるかもしれないのだ。
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