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ギターは小さなオーケストラ その真意は「音を止める」ことにある

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「ギターは小さなオーケストラ」と言われている。かの大作曲家ベートーベンが言ったらしい。ことの真偽は知らないが、そう言われている。

私はオーケストラには詳しくないので、正直なところよくわからない。けれども、例えばジュリアーニの「大序曲」はオーケストラを模している。と言われれば、確かにそうなのかなぁと思う。この低音はコントラバス。この旋律はバイオリン。この和声はホルンの5度のつもりで。みたいなの。

この形式のレッスン、「確かに」と頭では理解できるけれども、あまり好きではなかった。オーケストラを模すのならば、もうオーケストラでやればいいじゃないか。なんでクラシックギターでオーケストラの真似事をしないといけないのか、と言う反骨精神?と言うか持ち前の天の邪鬼が顔を出していたのだと思う。

いま振り返ると、ギターの豊かな音色をより活かすためには、オーケストラを聞く、他の楽器の音色や表現を学ぶと言うのはとても大切なんだと思う。そうは言っても、「オーケストラ」の焼き直しをするんだったら、やっぱりそれはオーケストラに任せておけばいい。音色も音量も、ギター1台とオーケストラなら比較するまでもない。ギター1台でオーケストラと同じことができる、と本気で信じている人はいないだろう。そもそも、どちらが良い/悪いとか、優れている/劣っているではなく、ギターとオーケストラは別なのだから。

では、ギターが「小さなオーケストラ」たる所以はどこにあるのか。そもそも、独奏楽器の王様はピアノである。これに異を唱える人はいまい。少なくとも、ピアノがそう言われる一面は誰しも納得せざるをえないのではないか。一人で旋律/和音/伴奏をこなす。音量も必要十分に大きい。音色だって、タッチにより輝きを変えることができる。少なくとも、電子ピアノやシンセサイザーなら音色を好きなだけ変えられる。ギターじゃなくて、そっちの方が立派なオーケストラじゃないか。

そう考えたときに、ギターと言う楽器の最も大切な特徴、それは「音を消せる」ことではないか、と最近思うようになった。和音を奏でる楽器であって、かつ休符をコントロールできる楽器と言うのは、恐るべきことなのではないだろうか。音楽を奏でるときは、どうしても「音を出す」ことに意識が向かいがちである。「休符は音が休んでいるだけで、音楽が休んでいるわけではない。ましてや演奏者が休む時間ではない」なんてことはよく言われる。実はギターと言う楽器は、この「特定の音を消す、休符を表現する」ことに関する柔軟性に優れているのだ。

オーケストラに参加する楽器にはもちろん和音楽器もあるけれど、基本は単旋律の集まりと見なせられる。それらの単旋律は、個別の楽器ごとに始まりと終わりを決めることができる。この、「始まり」だけでなく「終わり」を決められるという点は、あまり語られないけれど実は非常に重要な点なのだ。

クラシックギターの魅力 ~消えゆく音の美しさ~

少し前の話になりますが、テレビ朝日系列「題名のない音楽会」の1月30日の放送で武満徹の特集が放送されていました。タイトルは、「日本の巨匠 武満徹~音が沈黙と測りあうとき」でした。 武満徹さんは日本を代表する作曲家で(1996年に逝去されています)、クラシックギタリストにとっても大変重要な楽曲を作・編曲もなさっています。 武満徹さんの音楽を評して、指揮者の佐渡裕さんは…




ピアノは優れた楽器だけれど、特定の音だけを止める、あるいは伸ばすと言うことには不向きである。和音として発してしまうと、あとは自然減衰に任せるか、ペタルにより持続するか、になってましまう。実はギターでは、この「特定の音だけを止める」ことができてしまうのだ。だって弦が6本しかなく、その全ての振動を個別に止めることが原理上自由だから。

奏者を指揮者と見立て、6本の弦を楽器群と見なせば、これはまさにオーケストラだ。ギターの小さなオーケストラたる所以(ゆえん)は、この「撥音」だけでなく「消音」まで対応可能だ、と言うところにあるのではないか。もちろん音色を豊かに変えるのは楽しい。その延長でオーケストラを模したり、そこに表現の一端を求めるのもよいだろう。ただ、「消音」の大切さに関して、是非皆さん改めて認識して見てほしい。ギターの上達の極意は、「音を出す」ことだけでなく、「音を消す」ことにこそあるのだ。


むかし谷辺昌央先生はマスタークラスで、「倍音成分も含めて不要な音はすべて消しなさい」と指導されていた。はっきり言うと、当時は「そんなことできるかい!」と思った。そんなことまで気にしてたらギター弾けなくなるわ~と。でも今なら、おっしゃられていたことが少しわかる気がする。オーケストラで、1つの楽器だけ消音タイミングがずれているのはおかしい。音符(休符)通りに音を止めずに音を出し続ける奏者がいたら、みんな突っ込むだろう。楽器同士の共鳴があろうが、いや共鳴があるからこそ、休符通り確実に音を止めねばならない場面もあるはずだ。谷辺先生の指摘は、小さなオーケストラとしてのギターの可能性を理解されているがゆえのアドバイスだったのだろう。


偉そうなことを述べたけれど、いつものごとくこれは放言である。私の演奏は倍音に塗れていて、消音できてない部分もたくさんある。全て気にしていたら演奏できない。けれど、いま私は「消音が大切だ」と言うことを知り、それを実践するかしないかを選択することができるようになった。偉そうなことを言っても、レッスンで「そこ音が重なってます」「濁ってます」と指摘されることもしょっちゅうだけれど、ともかく意識ができるようになった。

人間、「知らないこと」を実践するのは非常に困難だ。多くの場合、何かを知らずのうちに実践するためには天賦の才が必要である。しかし、「知る」ことを武器にすれば凡人も一歩ずつ確実に進化することができる。全ては「知ること」から始まる。音は出すだけではない、消すことも重要だ。その事実が、あなたの演奏の新たな気づきになることを願う。
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コメント

皮肉に聞こえる

小さなオーケストラ≒ワンマンバンド、的な皮肉に聞こえます。ギターの独奏は、アルハンブラの想い出など「一人で二人分の曲」においては、演奏として不完全です。「爪がかかって嫌な音が混じった」「抑え方が不十分」「この音の指離すのが早いけど、待ってたら次弾けんわな」など「音楽から醒める」ことの連続でイライラさせられることが多く、ちっとも音楽に浸れません。
要するに

「一人でやってるんだから割り引いて聴く」という暗黙の了解がなければ成り立たないという点で、一人で太鼓叩いてハモニカ吹いてギターを弾く「ワンマンバンド」と同様の「曲芸の性質」をもつものだ。

という皮肉、あるいは賞賛と皮肉のダブルミーニングの発言の可能性がある、と考えています。

Re: 皮肉に聞こえる

コウヘイ様、コメントありがとうございます。

おっしゃるとおり、クラシックギターと言うのは演奏が不完全になることの多い楽器で、皮肉である一面を否定しきれないと私も思います。しかし、一部の本当に素晴らしい演奏家の音楽に触れると、ギターと言う楽器の持つ制約を忘れ、その魅力だけを感じる時間に浸ることができるのもまた事実です。

「ギターは小さなオーケストラ」この言葉を残した人も、そのようなギターの可能性に触れてこの発言してくれていたのなら嬉しいなぁ、そのように思います。
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