2020/07/18
狂言の共生感『この辺りのもの』と、SMAP中居正広の言葉『相手を思いやる気持ちがあれば緊張しない』と
先日出張時にANA便を利用しました。その時に読んだ機内誌の記事で興味深いものがありましたので共有できればと思います。日本を代表する狂言師であり、東京オリンピック・パラリンピック2020開閉会式総合統括を担われている野村萬斎氏のインタビュー記事です。
※2020/12/22追記
本日、野村萬斎氏を始めとするオリジナルのチームは解散することが発表されました。彼の演出を楽しみにしていた1人として率直に残念に思います。本稿に関しては、野村萬斎氏が総合統括であった2019/7/18時点の記載のまま据え置かせていただきます。※
その中で、狂言の考えと日本人の共生感に関して語られていた箇所を紹介します。
では、日本人のアイデンティティとは何でしょうか。私は、共生感だと考えています。そして、それが体現され ているのが狂言です。
狂言とは、現代風に言えば喜劇です。 その作品の多くは、「この辺りのものでござる」というセリフから始まります。これは、「どこにでもいるもの」 がまさにそのとき、その空間に登場することを意味しています。しかも、ここで言う「もの」とは、人間とは限りません。動物や虫、草木、さらには目に見えない亡霊のようなものまで、あらゆるものを擬人化して登場させます。それは、人間だろうがなかろうが、 偉かろうがなかろうが、美しかろうが なかろうが、すべてのものに存在意義があると認め、慈しみながら受け入れることでもあります。
そして、その存在にはどこか滑稽なところがある。それを見せ、慈愛の心で笑い飛ばします。
こうして狂言で体現しているものこそ、共生感であり、多様性と包括性、 つまりダイバーシティ&インクルー ジョンなのです。
ANA機内誌『翼の王国』2020年2月号
アニミズムあるいは八百万の神
日本人の宗教観を語る際に、「アニミズム」という言葉がよく用いられます。
アニミズム(英語: animism)とは、生物・無機物を問わないすべてのものの中に霊魂、もしくは霊が宿っているという考え方。 19世紀後半、イギリスの人類学者、E・B・タイラーが著書『原始文化』(1871年)の中で使用し定着させた。 日本語では「汎霊説」、「精霊信仰」「地霊信仰」などと訳されている。
(Wikipediaより引用)
根拠はありませんが、感覚的に日本には、日本人にはこの考えが浸透していると私は感じています。神道の言うところの「八百万(やおろず)の神」はまさにアニミズム的な思想を根底に持つ宗教と言えるでしょう。しかし、「神道」はまさに文字通り宗教であり、真の意味で信仰をしているわけではない私やその他市井の人にとっての「宗教観」と言うのは畏れ多い。
こう考えた時に、日本人の宗教観としての「アニミズム」と言うのはしっくりきて使いやすい。その一方で、日本人の土着の感覚を説明するために外来の片仮名を使用するのは本質を外している気もする。そんなときに出会ったのが冒頭の文章です。
『この辺りのものでござる』
野村萬斎さんは、日本人の精神性を説明するにあたり、狂言の世界を紹介しながらアニミズムのような外来語を使わずに見事に言い当てている。さすがの一言です。冒頭の一文が「アイデンティティ」という外来語で始まっているのはご愛嬌でしょうか。
人間や虫どころか亡霊まで、すべてのものに存在意義を認める。そう言った感覚を、一(いち)日本人としてこれからも大切にしていきたいと思います。
相手を思いやる気持ちがあれば緊張しない
さて、そんな記事を書きながらテレビ番組を見ていますと、SMAP 中居正広さんがジャニーズ事務所を退所すると言うことで特集が組まれていました。その特集で紹介されていた言葉の一つが『相手を思いやる気持ちがあれば緊張しない』と言うもの。
自分のことをよく見せようとか、恥をかきたくないとか考えると緊張する。けれど、相手のことを思っていれば緊張なんてしている暇はない。そんな意図だそうです。
私はこれまでSMAPに特別な思い入れはありませんでしたけれど、この特集あるいは発言を見て中居くんのことが好きになりました。まぁSMAP✕SMAP世代、と言うか下手したら夢がモリモリ世代なので人並みにはSMAPのことを好きでしたけどね。
自分以外のものを慈しむ心を大切にしたい
野村萬斎さんの言葉にも、中居正広さんの言葉にも、共通する観点を感じます。「自分」を中心に据えるのではなく、周りを大切にする。そんな慈愛の感覚で物事に臨めば、心地よい空間を『この辺りのもの』と共有できるのでは、と思います。
ギターに関して言えば、私は正直「上手いと思われたい」と言う自分本位の気持ちから脱しきれてはいません。それでも、「クラシックギターの魅力を伝える」「曲の良さを提示する」と言う気持ちの割合を増やせるように、取り組みを続けています。「自分」を薄めることはもちろん「クラシックギター」「曲」と言ったしがらみを越え、「相手を思いやる気持ち」と「この辺りのものと一体になる意識」を持っていければ、舞台での感覚や緊張の感じ方も変わっていくのでしょうか。
無私の境地に到達することは難しそうですけれど、いつか心地良い空間だけがそこに存在する、そんな時間を届けられるように、音楽を携え続けたいと思います。
2019/7/18 初稿
2020/12/22 追記
- 関連記事
-
コメント