管理人あしゃおのギターソロ演奏動画まとめ詳しく聞いたら、その無意識の呪縛から逃れられないと覚悟せよ
他者の演奏を聞くことは、自分の唯一性を削がれる行為でもあることを肝に銘じる必要がある。もちろん、他者の演奏を聞くことは大切だ。何度でも繰り返す、それは間違いなく大切だ。また、誰かのフレージングを真似するのは当然自由だし、素晴らしい勉強方法だ。憧れの誰かのコピーを目指すのももちろん素晴らしいモチベーションである。
学ぶは真似るだ、と言う有名で耳を傾けるべき言葉もある。しかし、1つだけ理解すべきことは、真似やコピーはオリジナルを超えることはできない、と言う事実である。この事実の厄介なところは、この線引きが外部からなされるのではなく、本質的に自分の内側から設定されることにある。知らず知らずのうちに自分の限界を、登るべき山の頂点を決定してしまうのだ。
好きな曲を聞きこむのも構わない。表現を真似するのもよい。ただし、「あの人の演奏をコピーする」と思った瞬間、あなたはこの呪縛に嵌っている。
漠然とした「あの人のようになりたい」は黄色信号
あの人の「~~」なところを真似したい。この人の「~~」なスキルを自分も手に入れたい。こう言う具体的な目標に落とし込まなければ、憧れは憧れのままだし、たとえ成功してもその人止まりだ。
昔、甲子園のテレビ放送に招待された子供が、インタビューに答えて「新庄選手が好きです」と言った。どんなところが好きですか、とさらに聞かれた彼は、「強いところです!」と力強く答えていた。私はこの子のハキハキしたところが好きだったけれども、このままでは新庄選手のようになることはできないだろうなぁと思ったことを今でも鮮明に覚えている。たぶん新庄選手は強くない。いや、強いかもしれないが、それはプロ野球選手に求められる資質ではない。新庄選手の何が好きなのか、どこを真似したいのか、それを少しずつでも言葉にすることが、上達への道だ。これは、本来言語を必要としないはずの芸術にとっても実は同じではなかろうか。
美しい音の美しさを言葉にすることは難しいし、不可能かもしれない。けれども、その撥音方法を確認して実践する。自分の音を認識し修正して再挑戦する。このサイクルを回すために、言語化というのは極めて優れた方法なのだ。耳からの情報に安易に頼ると、このステップは気づかないうちに省略されてしまう。
「楽譜を読め」の言葉の本質
耳で覚えるな、楽譜を読め。誰しも1度は耳にしたことのある言葉だと思う。この言葉が意味することは、「誰かの真似で満足するな」ということではないか。耳で聞き再現すると言うサイクルの中で、自分らしさを出せるのならばそれは構わない。けれどそれって凄く難しい。だから、「楽譜を見ろ」と人は言うのだ。耳で聞いた自分が好きなフレーズにオリジナリティを加えるよりも、楽譜を見て自分なりの音楽を模索する方が簡単だから。
「過去の自分の演奏」も、実は第三者の演奏だ
ここまで読んで、自分はちゃんと楽譜を読む、よかったと思った人ももう1つ注意して欲しい。それは、暗譜したあと自分の演奏を聞き覚えてしまうと、それは「過去の自分」と言う第三者の演奏を耳で覚えることと同じである。だから人は言うのだ、楽譜を読めと。定期的に楽譜に帰れと。反復練習により指と耳で覚えた曲は、いつしか過去の自分の模倣となり果てる。そうならないために、楽譜と言う耳に頼らないインプットを繰り返すことで常に変化を続けるのだ。自分なりの音楽をその都度作り直すのだ。
プロの演奏に足が怯むなら、聞かなくてよい
You Tubeが動画配信収益化の道を開いたこと。コロナ禍によるステイホームからのオンライン化。いろんな要因が絡まり、インターネットに放たれる動画は、質も量も飛躍的に上がっている。これまでギターに限らず、ローカルな中で受け継がれてきた文化は、いま急激に世界と対峙するように変容してきている。ギター教室の先生だとか、クラブの上手な先輩だとか、そう言ったいわば手を伸ばせば触れられる人だけでなく、これまで遠い存在でしかなかった世界のトッププロを身近に感じられるようになったのだ。これは、功罪両面併せ持つ。目標を高く持つのはいいことだ。しかし、小学生が最初からウサイン・ボルトに挑む必要はない。カール・ルイスに負けたと落ち込むくらいなら、自分の歩幅で一歩ずつ走る練習をした方が、よっぽど役に立つ。
音楽を楽しむために本当に必要なものは何か。動画全盛期のこの時代だからこそ、たまにはそんなことを考える時間を持つのも悪くないと思う。
あとがき
かなり極論に近い書き方をしましたけれど、あくまで問題提起を意図するものです。書いてる内容の8割以上は、自分に言い聞かせる内容ですしね┐(´д`)┌ と言うかそもそも私自身動画アップしてますしね、みんな見てね(笑) ただ、表現者たるには真似のし過ぎはよくないし、楽譜には定期的に立ち返った方がよい。そんなことを考えてみるきっかけになれば、と思います。
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