転調・移調はギターの方が楽ちん
とある参加者が、親子連弾でプリンセス・プリンセスの「ダイヤモンド」を弾いていました。跳ねたリズムを2人できちんと合わせて、とても良い演奏でした。この「ダイヤモンド」、半音下降クリシェが使われていて、慌ただしく移調が繰り返されているんですよね。でも、聞いているとスムーズなので黒鍵に悩まされる難しい曲であることが、知らない人には伝わらないのかなぁと思いながら拝見しました。ハ長調が直感的に弾けるメリットは、移調や転調の難易度が上がることと紙一重。その点ギターは、譜読みさえ終わればどの音・どの調もイーブンです(譜読みさえ終われば、って密かに大変だな、とも思ったり。。)。
発表会ではリコーダーの四重奏も披露されていました。こちらも、素朴な和音で心地よい演奏でした。しかし半音階の難しさからか、転調や導音が少ない曲が選ばれていたようで、選曲を含めた難しさを感じる場面でした。セブンスやドミナントモーションを有効活用しないと、劇的な展開は作りにくいんでしょうね。
音の止め方、曲の終わり方にセンスが出る
ギターが自然減衰を基本とするのと異なり、ピアノは残響が長く残ります。これ、普段は羨ましいと思っていました。しかし、「意図しなくても残響が発生してしまう」ため、人によってその処理の仕方に差が出る、と言うことの難しさを感じることができました。自分が出した音にどうケリをつけるか。そこの認識がはっきり伝わってしまいます。その点ギターは、放っておいても心地よい減衰が得られる。音を発音した後のケアがとても楽ちんです。もちろんそこにどう気を配ってきちんと音符を、曲を終わらせることかを考えることはとても大切です。けれども、意識しなくてもなんとなく「曲がきれいに終わっていく」のは、クラシックギターの1つの個性なのでしょう。いずれにせよ、ギターの自然減衰と言う特性を、欠点ではなく魅力としてはっきりと実感できたのは大きな喜びでした。これまではヤセ我慢と言うか、自分に言い聞かせている部分も多少はありましたので。。
少し前の話になりますが、テレビ朝日系列「題名のない音楽会」の1月30日の放送で武満徹の特集が放送されていました。タイトルは、「日本の巨匠 武満徹~音が沈黙と測りあうとき」でした。 武満徹さんは日本を代表する作曲家で(1996年に逝去されています)、クラシックギタリストにとっても大変重要な楽曲を作・編曲もなさっています。 武満徹さんの音楽を評して、指揮者の佐渡裕さんは…
あとは総じて、、
音楽はやっぱり楽しい。新たな技術に挑戦される方、去年より上手くなっている方や親子で思春期を乗り越え連弾される方。プロは良くも悪くも結果が全てなところがあり、私自身もパフォーマンスに注目してしまいがちです。しかし、発表会、さらにギターとは畑違いのピアノと言うこともあり、舞台の裏にあるストーリーや努力、全てを含めて愛おしく楽しむことができました(いやまぁ、2年前から参加してはいるんですけど、そこはまぁ多少はね)。
自分が舞台に立つときは、アマチュアであること、会社員であることを言い訳にはしまい、と言い聞かせています。けれど、人の演奏を見るときは、おおらかな気持ちで受け止めることでもっと楽しめるのかもしれません。自分に厳しく人に優しく、これからも音楽と真摯に向き合って、そして楽しみたいと改めて決意しました。
ピアノ教室の先生、関係者のみなさま、お疲れさまでした、ありがとうございました。
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