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ソルのエチュード1番で納得の演奏ができた

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ギター教室にいくと、毎回音階練習のあとにソルのエチュード1番(Op6-8)を弾いています。この15年ほとんど欠かさない、儀式のようなものになっています。前には、教則本がボロボロになり過ぎて、「それは毎日レッスンしてる先生が持ってるレベルの使い込みやな」と突っ込まれました(笑)。昨日のレッスンでは、今までで最も納得のいく演奏ができました。

この記事のポイント
▶同じエチュードを弾き続けると効果あり
▶感覚を言語化し、それを擦り合わせる
▶ずっとやっていると、奇跡のような瞬間が訪れることもある


同じエチュードを弾き続ける


定点観測をすることで、自分の立ち位置を学びたい。それが同じエチュードを続けている最大の理由だと思ってます。今日は高音の響きがいまいち。今日は低音ののびがいい。この演奏は和音の分離ができなかった。こう言った自分の調子を測るためには、同じ曲を弾くのがいいと私は思っています。

そして、ソルのエチュード1番は、その観測のために最適なんです。声部の聞き分け/ 弾き分け、和声の進行や解決など、弾くたびに色々なことを教えてくれるから。

自分の感覚を言語化する


自分で演奏して感じることと、それを人が聞いたときの感覚を擦り合わせる。これもとても大切な作業です。その際に、言語化と言うのは極めて大切なステップになります。もちろん音楽とは言葉を超えていく可能性を秘めたものです。けれども、何がよかったか、どこが改善点かを考えるには、1度言葉にすることで取り組みやすくなるでしょう。

昔は演奏をしてアドバイスをもらうだけだったけれど、いつの頃からか、それでは少しもったいないと感じるようになり、「自分ではこう感じましたが、先生はどう感じられましたか?」とを投げかけるようになりました。良かった点と悪かった点を挙げられるように取り組んでいるわけです。

…あ、格好つけましたが、「ダメダメでした」とか、「今日集中力ないっすね、だははは~」とか言ってるだけのときも多々あります(汗)。

この取り組みは、いわゆる難曲だとやるべきことが多すぎてとても難しいですし、簡単すぎると「自由な表現」に踏み込んで行くので、それはそれで匙加減が難しい。結局、「ちょうどいいくらい」のエチュードを繰り返し弾くことが、自分の演奏を客観的な感覚で捉える練習にはちょうどいいのです。

私(うまく出来た…)→先生「高音のメロディをもう少し響かせましょう」のパターンもあれば、
私「音が爪っぽかったように思います」→先生「いや、これくらいなら気にならないでしょう」のときもある。もちろん、思ってもみないことを指摘されることのほうが多いのですけれども。そんなレッスンを繰り返しているうちに、少しずつ「指摘されるであろうこと」を想定できるようになってきたのでは、と手応えを感じ始めていました。

レッスンを効率的に受けるためのヒント。練習曲とやりたい曲のバランスをとろう。

感覚の擦り合わせができてきた


そして迎えた昨日のレッスン。「自分のやりたいこと」を見据えて、「自分にできること」を表現する演奏ができました。そして、「いい演奏ができたと思います」と先生を見ると・・、「はい、いい演奏でした」と言っていただけました。「これまでで1番よかったのではないでしょうか」と。

まぁ、内心ガッツポですね。これだよー!きたよ!と。

「いい演奏」はできたが、「無傷の演奏」ではなかった


今日の話の中で1番のポイントは、ここかもしれません。実は、その演奏は「無傷」の「完璧」な演奏ではなかったんです。左手の抑えの甘いところがあったし、右手のコントロールも少しズレたところがあった。でも、そんなところも含めて「やるべきことはできた」と自分では思えました。

そして、その演奏をもって「よかったです」と先生に言ってもらえた。まぁ、方向性とか音楽の表現とか、何を注意して何を評価するかとか、そう言ったところがついにバチッと噛み合った気がしました。

昨日のレッスンは、ギター教室に通い続け、同じエチュードをずっと弾き続けてきたことに対するご褒美をもらえたような、そんな素敵な時間になりました。


音楽に完成形ない


音楽と言うのは時間の流れの中にしか存在できません。今いいと思っても、明日にはどこが変わっているでしょう。音楽ではなくて私の感覚の方が変わってしまうかもしれません。

次のレッスンからも、私はこのエチュードを弾くでしょう。そしてまた新たな景色を見つけ、その景色を表現する言葉を模索する。その言葉を携えて、これからもギターを楽しんでいこうと思います。
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