と、本編とは関係ないけど、当時あしゃお家も兄と私の2人で同クラブに所属していました。なら私達も下の名前で呼ばれるのが筋(?)ですが、あしゃお家は兄の存在感がでかすぎたためか、兄:あしゃお、私:あしゃおジュニアという謎の呼び方をされていました。いま振り返るとひどくね??
健くんが五輪に初出場したのは、1996年のアトランタ大会です。当時、関係者がオリンピック出場と言うことで大盛り上がりし、クラブ総出で市の壮行会に行きました。ちなみに、そのとき同時に五輪出場報告をしていたのが、野球日本代表で後に阪神タイガースで首位打者/打点王を獲得する今岡誠さんでした。
それからしばらくして、クラブ活動に健くんがフラっと遊びに来てくれたことがありました。そのときはマスゲームの練習中で、なぜか私がたまたまペアを組むことに。健くんを肩車していると、「「うぉーい、何やってんねん降ろせ!!怪我させたらどうするんじゃ!!」」とスポーツクラブの指導者に怒られました笑。いやでも、笑い話で済んでよかったです。普段は体育館のアリーナで活動していたのですが、その日はアリーナが使えず別館の柔道場で活動していたんですよね。柔道場の片隅でションボリと畳に三角座りしていた健くんの姿を今でも覚えています。
オリンピック出場前の健くんは、クラブのキャンプにも参加していました。私の兄は「キャンプで寺内健の鼻血を止めたことがある」、と言うのを自慢にしていますが、その論法だとあしゃおジュニアとしては「寺内健を肩車して怒られたことがある」と言うのが自慢な訳です。健くんはあしゃお兄弟のことは覚えてないでしょうけれど、エピソードだけでも覚えてないかいつか聞いてみたいですね。まぁどっちも覚えてないでしょうけど笑
という訳で、宝塚市のヒーロー寺内健選手とのエピソードトークでした。健くん、本当にお疲れさまでした!今後も応援しています!
あと余談の余談ですが、当時その柔道場の思い出としては、準備体操のときにスキャットマンのCDが流されて、なんじゃこれスゲーな!ってなったのも覚えています。SNSもYou Tubeもなく、テレビ以外だと人伝てでしか熱が伝搬しなかった時代。衝撃がスマホの中ではなく風景とともにある、というのはなんとも懐かしいですね。
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