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音色の変化は諸刃の剣ですよ

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 『音色の変化は諸刃の剣ですよ。』

 もう10年近く前になるだろうか、とある公開レッスンでこの言葉を聞いた。遠い記憶を辿って、当時のその先生の言葉を掘り返してみる。

 『スルタスト(指板側で)やスルポンチチェロ(ブリッジ側で)による音色変化に安易に頼るのは良くない。ピアノや他の楽器は音色変化なしで音楽表現をしている訳ですから。ギタリストは音色の変化に逃げることがあるけれども、それは本来最後の手段です。諸刃の剣であると認識したほうがよい。』

 当時この言葉を聞いたとき、正直意味がわからなかった。意図を掴みかねた。豊かに音色を変化させられる、それはクラシックギターの特権じゃないか。なぜそれを否定するようなことをおっしゃるなのかなと。
 先日、自分が惹かれる音楽、好きな演奏ってなんだろうと思いながら、とあるアマチュア演奏会の映像を見ていた。完熟とは言えないスキルの中で自らの表現を目指す方々の演奏は、時にプロの演奏よりも学びが多いこともある。ミスがあっても胸に響く演奏。何かが伝わる音楽っていったいなんだろう。とても上手なのに、あまり好きではない演奏との違いはなんなのか。

 そんなおり、掲題の言葉を思い出した。そうか、変化をつけることを目的とした表現は、心に響かないんだ。同じフレーズを繰り返すから、ちょっと音を固くしよう、とか。後ろがフォルテだから、前段のピアノを小さくしよう、とか。そう言った逆算から導かれた表現は、どことなくわざとらしい。どうしようもなく生み出された音、必然的に生み落とされた旋律とは違って聞こえる。

 あぁ、音色変化に頼るな、って、きっとこう言うことだったんだな。音色を変えるな、と言うことではなく、なぜその音色が欲しいのか、どうしてその変化を欲するのかを問い詰めなさい、と言うことなんだろう。なんか、やっと腑に落ちた気がする。

 いや、たぶん先生は最初からこう言っていたんだろう。私がようやくその意味を感じることができただけだろう。認識は経験を伴ってこそ手触り感のあるものとしてそこに現れる。

関連記事:音楽に『心』をこめるとはどう言うことか、哲学を借用し考える


あとがき
これは淡くはないけれども遠い記憶を辿りながら書いた記事であり、かつ発言された先生の意図を汲んでいるか定かではないため、名前は出しませんでした。いつも繰り返しているつもりですが、音楽には正誤も優劣もありません。冒頭の言葉も、他者の演奏を批判し貶めるためではなく、自分の演奏をもっと好きになるために活かしたいと願います。

ところで、諸刃(もろは)の剣って、英語だと double edged sword って言うんだって。へぇー。と思ったけど、そもそも日本刀って片刃だから、外国語(英語)由来なのかもしれないな。

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