ところで、料理にはプロ、職業的専門家がいます。例えば、フランス料理のシェフ。例えば、日本料理の板前。こういった方々は、素材の下ごしらえの方法や、味付けの基本を系統建てて学び、それを提供しています。
では、このような下積みを経験していない人は、プロにはなれないのか。料理をする資格はないのか。もちろんそんなわけはありません。見様見真似でラタトゥイユを作ろうが、自己流のお寿司を作ろうが勝手です。それを提供することで対価を得ることも可能でしょう。しかし、それを「フランス料理」として提供すると、首を傾げるお客さんもいるるかもしれません。「江戸前寿司」と言ってしまっては、看板に偽りありで全日本江戸前寿司協会に訴えられるかもしれません(あるか知らんけど)。それは、その人の作る料理が美味しいかどうかとは別の視点で考えられなければなりません。
家庭料理や創作料理は、それ自体として立派に成立し、それらを提供することでプロとなり生計をたてることも可能です。しかし、料理のジャンルとして確立されたものとは、別ではないか。いくら喧嘩に強い人も、いきなり柔道家にはなれないように。柔道なんて、そのものズバリ、「道」ですからね。
では、クラシックギターはどうでしょうか。この答えのない問いに今回の記事で向き合ってみようと思います。
日本におけるクラシックギターは、古賀メロディに代表されるように演歌や歌謡曲の中でその姿を表します。そのスタートは、ポピュラー楽器として認知されたと言って差し支えないでしょう。その後、イエペスによるテーマ曲「愛のロマンス」が大ヒットすることとなる映画、禁じられた遊びが公開されるのが1952年。この後にポピュラー楽器としての、誰かに習わなくとも自習して演奏可能な楽器としてのクラシックギターがさらに広まったものと思れます。ちなみに、私がギターを始めるキッカケとなったのは、吉田拓郎に憧れる1950年生まれの父親が、家にクラシックギターを置いていたからでした。
その後、あえて固有名詞で挙げますが、日本を代表するギタリスト、福田進一氏が1955年に生まれ、1981年にパリ国際ギターコンクールで優勝します。「ポップスの世界にビートルズのような天才は現れうる。しかし、クラシックの世界にそれはありえない。時間をかけて築かれたクラシックのエキスを注入されないと、クラシックにはならない」とは福田先生本人の言。まさにその言葉通り、パリはエコール・ノルマル音楽院で研鑽をつみ、コンクールで認められた彼の帰国以降、日本ギター界はクラシック化に向けて舵を切るように思われます。クラシックのエキスを注入された彼が、その重要性を身を以って示すことで、後進がクラシックの本場へ学びに行く気勢が形成されたのです。
ちなみに、私がお世話になっている猪居信之師匠が、1958年生まれで今年還暦。彼の言う「私が若い頃は、アラビア風奇想曲が弾ければプロになれた」との言葉は、謙遜や冗談を念頭に置いても、福田ショック以前と福田ショック以降の差異を端的に示しているのではないでしょうか。
福田以降は、欧州で「クラシックとして」のクラシックギターを学んだ人が増え、またそういった方がレッスンを行うことで、クラシックのエキスが徐々に広まっていきます。そして、クラシックギター専科をもつ4年制大学が誕生するなど、クラシックギターは間違いなくクラシックへの道を辿っています。
いま、日本には「クラシックとしてのクラシックギター」を味わえる店が増えてきました。「パリで○○に師事」「ドイツに留学」、多いですね(決して馬鹿にしているわけではなく、むしろ羨ましく尊敬している)。気軽に本格的フレンチを味わえ、調理方法も教えてもらえるようになってきました。反面、家庭料理としてクラシックギターを演奏したい人にとって敷居が高くならないか、と危惧する自分がいます。
10年近く前、私がこのブログを作成しYouTube投稿を始めたころには、プロの演奏と家庭の演奏の間に、「おいしい家庭料理」の存在をアピールする場所がありました。そこには「マネタイズ」する手法がなく、プロが敢えて参入する場所ではなかった。それから時代が変わり、インターネットで稼ぎを得ることができるようになって、美味しい家庭料理はプロの完璧なレシピによって駆逐されようとしているようにも思っています。料理と異なるのは、家の中にいてもプロの演奏を味わえるようになった、というところなんですよね。わざわざ家庭料理を食べなくても、そこにプロの料理があるんですよ。それ自体は悪いことではなく、むしろ喜ばしいことです。しかし、美味しい家庭料理、自由な創作料理が愛好家からプロの手に渡ったとき、結果としてポピュラー楽器としてのクラシックギターには何が残るんだろう、と言う得体の知れなさ、恐れのようなものを感じているのは事実です。しかし、そんなことを言っている私自身も、クラシックギターとの付き合いが長くなるにつれ、すでにクラシックとしてのクラシックギターとしての魅力を感じる領域に突っ込んできている、というのもこれまた本音でして。。
こんなのは単なる杞憂で、プロの魅力が近づくことによってにクラシックギターは繁栄の時代を迎えるのか。それとも、プロの完成度ゆえにポピュラー楽器としてのクラシックギターは衰退してしまうのか。クラシックギターは今、クラシックとポピュラーという観点で、まさに岐路にきているのではないかと思います。10年後に振り返った時に後悔の念を感じないよう、プロも愛好家も、一緒にギター界を盛り上げられるとよいですね。
2019/6/5 初投稿
2020/4/22 再投稿
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