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登山って登りよりも下りの方がしんどいんだよ。

『登山って登りよりも下りの方がしんどいんだよ。』

若い頃にアルピニストを目指していたという彼は、そう語った。

『どうしてですか?』当時まだ中学生だった私は尋ねた。『登りの方がたいへんじゃないですか』

『見てご覧。遠くに麓が見える。僕たちはあそこまで歩いて行かなくちゃならない。』大分県の九重連山を下る道中だった。天気が崩れるまでに下らないと、と少し急ぎながら、彼は教えてくれた。

『登りは目の前に坂があるから、足元を見ながら一歩一歩進むしかない。そうやって進んでたら、いつの間にか頂上に着くんだよ。でも、下りでは、こうやって遠くまで見渡せるでしょ?景色が良くて最初は気分がいいのに、ふもとに全然辿り着かない。』

だから君は、遠くを見すぎずに、足元を見て一歩ずつ進んでいけばいいんだよ。山を登るときのように。そう彼が続けたのかは、実は定かではない。むしろ、後日私が頭の中で付け足した可能性の方が高いように感じる。子供が好きで山が好きだった彼は、登山中に人生訓を垂れる人ではなかっただろう。綺麗なはずだった景色も、大切なはずの会話も、いつの間にか朧気になってきてしまった。それでも私は、この時の情景を今でも大切にしている。

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さて、ギターの練習をしていると、全然上手くならない、どころかむしろ下手くそになったように感じる時があります。これはいくつかの可能性が考えられます。けど、落ち込まずに自分を励ましていこうぜ、っていう記事です。

要点:
・本当に下手になってないかの注意は必要。
・実際には上手くなっているのに、成長を感じられていないだけの可用性もあり、その内訳は、
①練習により目標が高くなり、現在地とのギャップが大きくなる
②今出来ていない内容が明確になり、その課題意識から目標が遠のいて感じる
・ここが出発点。踏み出す足はいつだって始めの一歩♪

以下、上記内容の詳細をつらつらとだらだらと細かく述べます。

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舞台での度忘れに備える、確実な暗譜のための練習法

久しぶりに、真面目な演奏ヒント記事です。舞台演奏での度忘れに備える方法。たった3ステップの簡単な方法ですが、実際にやるには訓練と根気がいります。しかし、その労力に見合うだけの絶大な効果があります。


①暗譜する
まず暗譜しないと度忘れすることもできません。頑張って覚えましょう。

②頭の中で演奏する
暗譜ができたら、今度はギターを持たずに頭の中だけで弾いてください。その時、左手の押さえだけでなく、右手の撥弦の動きも想定します。指の動きでなんとなく弾くのではなく、記憶から全ての動きを思い出すのです。曖昧になるところは、暗譜できていないところなので、改めて覚えます。これができるようになれば、次のステップへ進みます。

③ギターを演奏しながら、弾いている箇所の次のフレーズを思い浮かべる
最後のステップです。ここでは実際にギターを持って演奏します。ただしその際に、「いま演奏している箇所」の「1つ先のフレーズ」を頭の中で思い浮かべるようにします。この「頭の中で思い浮かべる」内容は、②で練習した頭の中で演奏している内容です。例えば1小節目を弾いているなら、2小節目のフレーズと運指を頭の中に思い浮かべる。1小節先が難しければ、1音先でも構わないので、『今弾いているとこの少し先を思い浮かべる』訓練をできる範囲からやってみてください。これができるようになれば、演奏を指の記憶に頼る必要がなくなるので、安定した演奏が可能となります。

必ずしも一曲通してやる必要もなく、『ここよくミスするな』という箇所に絞ってこの練習をするのもよいかと思います。一度試してみて、そしてご自身にあったやり方に工夫して習得しましょう。

はい、簡単でしたね(難しい)。舞台で度忘れする。急に弾けなくなる。そんな経験で苦労している方は、ぜひ一度試してみてください。

これを出来るようになっても舞台で真っ白になってしまうとしたら、それは技術的な動作の課題やメンタルの整え方など、別の課題があるかもしれません。しかし、漠然と「人前演奏ではいつも飛んでしまう」と悩んでいるならば、それは演奏を完全に覚えられていないことか大きな要因である可用性が高く、本稿の練習を繰り返すことで改善が期待できます。

ちなみに、こう言った取り組みが音楽的に魅力的な演奏に繋がるかは全くの別問題です。小難しいことを考えるよりも演奏に没頭したい!と言う主張があれば、それを優先することで良いでしょう。しかし、あなたがもしも暗譜に関する改善の糸口を探しているなら、この方法は試してみる価値があります。

ゆっくりな曲、簡単な短い曲で上記を試し、成功体験を積み重ねていくことが、いつか大曲・難曲を人前で弾くための近道となるでしょう。

(と自分にも言い聞かせる、、)


関連記事:譜読み、暗譜に際して考えてみたいことまとめ


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舞台での緊張/度忘れに備えるための対策まとめ

過去記事から、緊張のメカニズムやそれに備える方法、舞台での心得など、労易くリターンの大きいメンタル系の過去記事をまとめました。プロフェッショナルではない私だからこそ、皆さんと同じ視点で語れることがあると考えています。緊張や度忘れに悩んでいる皆様にとって、何かの気づきになれば幸いです。上がり症のあなたへ、それは生物として極めて正しい反応なんです。緊張はするものだ、その前提から、一緒に練習を始めましょう。

※2020/7/24の記事の修正再投稿です。「準備面で工夫していることはありますか」との質問箱をいただきました。過去記事ですが少しでも参考になれば幸いです。※

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道でゴミを拾った話

僕は真面目な少年であった。

真面目というのは、よく言えば規範を従うということであるが、悪く言えば他人の目を気にしているということである。親に怒られるのが怖かった。あいつ先生に叱られてるな、と思われるのが嫌だった。

そんな僕も少し大きくなると、なぜ自分はルールを守るのか、ということを考えるようになる。誰も見ていない、車も来ない真夜中の道路で赤信号を守るのは何のためだろうか。そんなことに頭を悩ませながらも、赤信号みんなが渡っても自分は止まる。そんな感じの学生生活を送っていた。きっと堅苦しくて息苦しいやつだったのだと思う。

でも、そういう拘りってエネルギーがいる。赤信号を渡らないと、それ自体が変わったやつと思われるんじゃないか。目立つことでかえって悪い結果を迎えるかもしれない。そんなこんなで、私はどんどん普通の人間になっていった。今の私は、どこに出しても恥ずかしくない普通の人間だと思う。もしかしたらどこに出ても恥ずかしい普通の人間になったのかもしれない。

先日駅前を歩いていると、前の方からビニール袋が転がってきた。昔の俺なら拾ってたなぁ。と思ってたら、ほんとに私の足元に向かって転がってくる。まさに一直線と言うやつだ。「転がってきたビニール袋を拾うおっさん」と「転がってきたビニール袋を無視するおっさん」、一体どっちが普通だ?どっちがダサい?そんな問いが頭を駆け巡る。でも、打算が完了するのを待たず、ゴミは私の足元に到着した。そして通り過ぎようとする。

思わず拾った。

誰も俺を見てなくても、俺が俺を見ている。

面倒くさいことに手を出したのは、実に久しぶりだ。ビニール袋にはゴミが入っていた。濡れていた。周りにゴミ箱がないので、仕方がないから家まで持って帰った。手が汚れてしまった、と後悔しなかったといえば嘘になる。けれど、清々しく少し誇らしい気分だった。

こんな些細なきっかけで、自分の好きな自分になれるんだな。そんなことに気づいた休日だった。
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阪急うめだ本店『英国フェア2022』でウイスキーを飲んできました

過去にこの記事で何度か紹介している、阪急うめだ本店の英国フェア、本年2022年は、ウイスキーファン待望の試飲スペースが再開されました!コロナ禍では開催されていませんでしたので。何を隠そう(隠してない)、私ウイスキー検定を保持しているシングルモルト好きなんです!まぁ3級やけどね。

コロナ前は販売対応が2箇所あり、また購入後の試飲スペースも広く取られていましたけれど、ご時世もありアクリル板で仕切られたカウンターのみの案内。私が行った平日の定時後には数名の待ちがあり、私は30分ほど並びました。また各席1時間の制限もありました。帰るときには4待ち行列が5,6人に伸びていましたのもあり、やはり平日昼間に休みを取って行くべきイベントだと再確認。。来年以降の再訪が今から待ち遠しいです。

開催は2022.10.17(月)までのため、興味のある方はどうぞ足をお運びください。

オフィシャルサイト:英国パブ | 英国フェア2022 | 阪急うめだ本店 | 阪急百貨店

エスカレーターで9階まで上がると右手後ろ側に、ビールバーと併設して我らが『フィドラーズ・ウイスキー・バー』が。


今回飲んだのは、、下記3杯。高いな!と思われるかもしれないですが、このレベルのウイスキーをこの値段で気軽に試飲できるって、めちゃくちゃ貴重な機会なんですよ!

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[Guitar Solo] 真夏の果実(サザンオールスターズ)

あんなに暑かった夏が過ぎ、季節が変わろうとしています。この季節にサザンオールスターズの名曲「真夏の果実」を聞くと、いつも以上に胸に染み入るわけです。


真夏の果実
作曲:桑田佳祐
編曲:田嶌道生


楽譜は、コチラの『月』(桑田佳祐)と同じく、田嶌道生さんのGuitar Solo in SOUTHERN ALL STARS掲載のもの、1995年発売とかなり古いので入手は厳しいです。。
i指のイボ治療を続けていますが、ちょうど血豆が取れたので録音してみました。久しぶりに使うi指でノンミス演奏は出来なかったよ、、、というのは単なる言い訳です!


ただ、最近は自分の中で『完成形』に対する考えが変わってきているのを感じています。音楽という絶えず変化することが可能なはずの体験を、録画という行為の結果によって枠に嵌めてしまうくらいなら、ミスがあっても手探りの感触を楽しむのでいいのでは、なんて。あらゆるものがデジタル化されていく中で、果たして自分なんかが完璧というものに到達することができるのか、到達できたとして何の意味があるのか、そんな気持ち。それよりは、その場の生の経験をただ楽しむことの方が大切なのでは。

とか言いながらミスを含んだ演奏を録画してYou Tubeにアップしてるんですから、何やってるのか意味不明ですね。まぁ理屈をこねて行動しないよりは、爪痕を残していこうと思います。

完成度の高い演奏に拘って練習することで得られるものは間違いなくあります。けれど、この曲をいま演奏したい、と言う思いが湧いてきて録音したならば、それもまた愛でるべき対象ではないかと。

あ、あと録音して聞いてみると、『許容できるミス』と『流れを損なうミス』に関する認識を改善できるような気がします。ノンミスできるに越したことないけど、ミスしたときに次に進んでいくテクニックや精神力も要りますし。

色々言いましたが、この曲は細かいミスなんて気にならないくらいいい曲なので、甘い目で聞いてください!ってことです。

『こんな夜には涙を見せずに また逢えると言って欲しい』
あぁ、、逢いたい人がいっぱいいるなぁ。皆さま、また逢いましょう。
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知り合いがギターを再開したらしい

ギターを止めていた知り合いが、最近またギターを始めたらしい、と風の噂で聞いた。その人は、私なんか比較にならないほどギターが上手かったけれど、ある時にギターを止めてしまっていた。

止めることを決断する方が、そしてまた再開することを決意する方が、ひたすらに続けるよりも遥かにエネルギーが必要なのだろうな、と、ただただギターを続けてくることしか出来なかった私は想像する。私には想像することしかできない。

再開しても、ブランクで過去の自分程は演奏出来ない事実とも向き合うことにもなるかもしれない。けれども、大きな決断をできるあなたなら、きっとすぐに成長していくのだと思う。

一生連れ添うのが縁ならば、一度離れた道が結ばれるのもまた縁。お帰りなさい、ギターを楽しんでくださいね。いつかどこかで演奏を聞かせてもらえる機会を楽しみにしています。
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九州福岡・佐賀ギター旅 松下隆二先生&塩見大二郎先生に会いに行きました。

仕事で長期休暇が取れたため、出不精な私が珍しく気合を入れて旅行に行ってきました。目的は福岡は松下隆二先生と、佐賀は塩見大二郎先生に会いに行く、と言うものです。一人旅自体が珍しく、人に会うために旅を計画したのは人生で初めてかもしれません。

松下先生には、大阪でレッスン会を開かれる度にお世話になっていました。ここ何年かお会いできていなかったので、時間ができたら今度はこちらが福岡にお伺いしよう、と少し前から心に決めていました。今回の休暇もあと少しで何もせず家でゴロゴロして過ごすところでしたが、いやこんな機会なかなかないぞ、と思ったので恋文のようなアポメールを作成。送信ボタンを眺めながらしばし逡巡した挙げ句、ええいままよ、とボタンを押すという乙女なことをいたしました。乙女は「ええいままよ」とか言わない、とか言うな。でもね、遅い時間だったにも関わらず早めに了承の返信をいただき、夜中にニヤニヤするその姿は乙女と言っても差し支えなかったと思うよ。たぶん差し支えしかないけど。

合わせて、最近Twitterでこちらも一方的に仲良くさせていただいている塩見大二郎先生にもお時間をとっていただき、レッスンと重奏をしていただきました。お二人とも、お忙しいにも関わらず快くレッスンを快諾してくださり、またプライベートでも貴重な時間を割いてお付き合いくださり、深く感謝しております。ギターに関しては最近ずっと伸び悩み中ですし、正直なところ取り組み方・続け方に迷いもありす。しかし、お二人の知識と熱意と厚意のお陰で、演奏の楽しさを再認識することができました。しばらくはこの思い出を胸にギターを続けていこうかと思います。お二人とも本当にありがとうございました。

クローズドな内容は出しませんが、少し観光の写真を紹介します。自分の思い出整理で書いてるだけで、別に音楽的な話は出てきませんが悪しからずご了承ください。写真たくさんで容量も多いのでご注意を。このページ開いてる人はもう手遅れかも知らんけども。

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Op.31-4 Andante (Fernando Sor)

Fernando Sor作曲、Op.31-4 Andanteを演奏しました。


動画の冒頭に3秒ほどの無音がありますが、これはミスではございません。四分の二拍子でAndante、冒頭どうやって入ろうか、、という逡巡から曲がスタートしていると思い、そこを敢えてを残しています。この3秒の間に動画をスキップされることもあるかもしれないですけど、そういうところ拘っていきたい。。

去年右手人差し指(i指)の先に出来てしまったイボがいまだ治っておらず、現在治療をしているため演奏に使用できません。pmaの3本で演奏できる三声の曲何かないかなぁ、と楽譜をあさっていたところ、ソルの練習曲は多くの曲が三声で書かれていることに今さらながらに気づきました。そういえばソルは、基本的にpimの3本の指しか使わなかったらしいですね。pimで弾けると言うことは、pmaでも弾けるはず、、ということでこれも何かの縁と思ってpmaに愛着を感じて演奏しております。

ソルの作品番号31は、24のルソンと呼ばれます。ルソンとは、英語にするとLessonのことで、つまりレッスン曲ですね。ソルはいわゆるエチュードに関して、作品35 エグゼルシス=Exercise、作品31ルソン=Lesson、作品6,29 エチュードと区別して用語を使い分けていて、この順に難易度が高くなっています(と現代ギターの特集記事に記載されていました)。今回演奏しました作品31 ルソンには、「漸進的」「念入りに運指を付けた」「初心者の生徒たちに献げて」とタイトルに書かれているそうです(と現代ギターの特集・・以下同文)。やっべ運指全然守ってないわ。

ギターを初めてもうすぐ四半世紀になります。このタイミングでソルの練習曲に向き合うことになったのも、悪くはないように思います。もっと若いころだったら、pmaでギターを続ける気にならなかったかもしれません。また、弾いたとてこの曲の魅力に気づけたかどうか自信がありません。これからのギター人生で大切にする、弾き続けていくであろう曲となりました。i指が使えるようになったときに、自分がどんな演奏をするか、どんな気づきが得られるかを楽しみにしています。

参考文献:
現代ギター 09年4月臨時増刊号『ソルの教育的作品』(小川和隆)
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私が本当に好きなのは、コーヒーではなかった

 私はコーヒーが好きだ。小学生の頃にブラックコーヒーを飲む父を見て憧れて以来、長きにわたりコーヒーを飲んでいる。父は牛乳を淹れていたようにも思うので正確にはブラックではなかったかもしれないが、いずれにせよ砂糖の入っていない、甘くもなくむしろ苦い液体を痩せ我慢して飲んでいるうちに、いつの頃からか手放せない嗜好品となり、今では甘いコーヒーは受け付けない。

 コーヒーは豆の状態で買ってきて、ミルで挽いてドリップする。ドリップはなるべく時間をかけ、ゆっくり淹れる。専門的な器具も知識も持ち合わせていないものの、挽きたての粉を蒸らしながらじっくりと時間をかけたほうが、雑味が少ない好みの味になると経験的に感じている。今ではトンと機会がなくなったが、たまに家に遊びに来ていた友人は「こんなうまいコーヒー飲んだことない」と来るたびにコーヒーをリクエストしてくれていたので、彼が大げさな人間であることを差し引いても、それなりに美味しいコーヒーが淹れられているのでは、と期待する。

 ここ数年は在宅勤務が多くなった。対して妻は出社を要する仕事に従事しているため、私が家にいることが多い。リモート会議に参加したり、資料を確認したりしながら、昼過ぎの妻の帰りに合わせ密かに二人分のコーヒーをドリップする。そんな日々を続けていた。

 最近子供が大きくなったのに合わせて、妻が勤務形態を変更した。夕方まで帰ってこないようになった。するとどうだろう。なんと私は昼のコーヒーを飲まなくなっていることに気がついた。今まで二人分を淹れていたコーヒーは、一人分に減るのではなく、零になっていた。

 今になって気づいた。私が本当に好きだったのはコーヒーではなく、二人で一緒にコーヒーを飲む時間だったのだ。喜んでるくれる妻の顔を見たかったのだ。いったい何時頃に家に着くだろう、と想像しながら二人分のコーヒーを淹れる時間が、香りに気づいた彼女に「コーヒーを淹れてくれたんだ、ありがとう」と言ってもらう瞬間こそが、かけがえのないものだったのだ。

 とまぁ格好つけてエッセイ風に書いたここまでが、本文の導入であって、本論はここから。。結局自分が好きだと思っているものは、実はその本質ではない、ということは比較的よく起こることで、最近私が体験したのは、上記コーヒーにまつわる内容でした。『顧客が本当に必要だったもの』と言う、木にブランコを吊るす絵は、もはやミームと化している感もありみなさんもどこかで目にしたことがあるのではないでしょうか。

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